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2009年3月19日 (木)

ウェンディSS『ウェンディの一人語り もしくは、変わらぬ日常』

 おーい、こっちッスよ、こっち! なにきょろきょろしてるんッスか?
 せっかく呼び出したのに、そんな離れたところにいても意味ないッスよ。
 え?
 その格好は何、って言われても、これはあたし達の仕事着みたいなもの――って、そっか、この格好見せたの、初めてッスね。
 ん? どうしたッスか?
 もしかしてちょっとそそられたりなんかしたッスか?
 ちらりと覗くふともものラインなんかちょと扇情的だったりするッスか?
 え? 寒そう? はあ……そうッスか。
 ……前のスーツの方がその辺攻撃力高かったっすかね。――や、こっちの話ッスよ。
 まあ、確かにちょっと寒いッスけどね。
 今日は日中暖かかったから、上着は要らないと思ったのに。日が暮れたら急にこれッスから。
 で――よしよし、案の定そのぶかぶかのコート着てきたッスね。
 それしか持ってない、って何度も聞いたッスからねえ。
 え? 何を言ってるんだって?
 今更何を言ってるんッスか、ほら、前あけて前。
 合体! なんつって。
 ――案の定、あたし一人押し込んでも余裕でカバーしきれるッスね。このコート。
 ふう、あんたの体温とこのコートのおかげで生き返る暖かさッスよ。
 いつもは不格好にしか見えないけど、今日だけは感謝するッスよ。
 しかしまあ、マジでワイドなコートッスね、これ。
 あんたの尊敬してるおじさんって人、どんだけデブだったんっすか?
 え? 昔はガチムチだった? や、そんな事は聞いてないッスけど……ひょろいあんたとは全然似てないって事ッスか。
 で、どうするんだって?
 ま、とりあえずッスね。あんたのお店で晩飯にしたいんッスけど。
 ……なんでコートから出なきゃならないんッスか? このままッスよ、このまま。
 寒いから、わざわざ仕事中なの承知で呼び出したんッスからね。
 ため息吐いてても、なんにもならないッスよ。あたし、ここから出る気はないッスから。
 じゃあ脱ぐ? だめッス。あたし一人でこんなでかいコートどうやって着ろって言うんッスか?
 ああ、今日はとりあえず外出許可が夜中まであるから大丈夫ッスよ。任務はもうきっちり終わらせたッスし、パパリンとチンク姉にも許可貰ったッスから。
 その任務で、こんだけ寒い思いするハメになったんスけどねえ。
 ほら、二人羽織状態でも全然問題ないっしょ。行くッスよ!

 やー、楽しみッスね。
 あんたの料理、一月振りかな。
 今日もどうせ定休日返上で新メニューの開発してたってとこじゃないッスか?
 図星?
 仕事バカもほどほどにしとかないと、疲れきって倒れることになっても知らないッスよ。
 その最中に呼び出すあたしもあたしだけど。
 や、気分転換になってるなら、それはそれでいいんッスけど。
 照れるッスねえ。
 で、新メニューの開発状況はどんな感じッスか?
 ふむふむ、要するに佳境に入ってる、と。
 スイーツに関してなら、知り合いのご両親が確か結構すごい人だったはずッスから、何かレシピ聞いてきてもいいッスよ?
 え? 試食?
 うーん、何人か、声を掛けてみてもいいっスけどね。
 舌の肥えた知り合いも、何人か居るッスから。
 あたしの家族ッスか? あー、味覚よりも量ってのも居るッスからねえ。
 チンク姉あたりは、それなりに舌も肥えてそうかなあ。
 ……味覚がちょっと幼いかもしれないッスが。
 え? 姉なのに味覚が幼いって変じゃないかって?
 やー、説明してなかったッスかね。チンク姉は間違いなくあたしのお姉さんなんッスけどね。
 ほら、こないだ説明したように戦闘機人なんで。
 見た目も幼いけど、時々妙に幼い部分もあるんッスよね。お気にのシャンプーハットが無いとシャンプーが出来なかったり。
 お、興味持ったッスか?
 ある意味永遠の幼女ッスからね。そういう特殊性癖の人にはお勧めかもしれないッスよ。
 ……なに、マジで考え込んでるんスか。蹴っ飛ばすッスよ。
 冗談もほどほどにしてほしいッス。
 んー、とりあえず試食一号として気合入れて味見してみるッスよ。
 っと、だいぶ人通りが増えてきたっスね。
 え? 恥ずかしい?
 こんだけぶかぶかのコート普段から着てる時点で、既に恥ずかしいッスよ。今更言わないで欲しいッス。
 しかしまあ、もう日が暮れてるってのに、どこも賑わってるっスね。
 家族連れも多いし、あのへんのモールもこれからが稼ぎ時ってとこッスか。
 治安も良くなったし……テロリストだの、ロストロギアだの、悲惨な事故だの――あたしらが関わってる事件が嘘みたいッスよ。
 みんな、それなりに幸せにやれてるって事ッスかね。
 世界のどこかで、まだ苦しんでる人はいっぱい居るんっしょうけど、少なくとも、今、ここはささやかな幸せに浸れてる――きっと、いいことなんッスね。
 え?
 あたし達が守ってるから――ッスか。
 うん、それは、確かに……そうッスね。
 管理局がこの世界を守ってるから、みんなが平和に暮らせてる――それは、確かッス。
 なんだかんだで、あんたと出会ったのも管理局の任務で出動したのが元ッスから。
 でも、ちがうッスよ。
 あたしらには、胸を張れる資格なんて無いッス。
 前も言ったッスよね。
 あの、ゆりかご事件で、あたしらはこの世界を焼き尽くそうとしたッス。
 ドクターの求める世界にしてしまうために。
 あのとき、あたし達はそれに疑問なんて欠片も持って無かったんスよ。
 なにも知らなかった――なんて言い訳は、出来ないッス。
 あたし達だって、考える自由がなかったワケじゃないんッスから。
 なのに、ただ、ドクターの言葉だけを信じて。
 強くなることばっかり考えて……
 望みが叶うことだけを、考えて……
 それで、世界がどうなるか知らなかったわけじゃないッス。
 知ってて、それでも、どうでもいいって……本気でそう、思ってたんスよ。
 あたし達の知らない世界なんか、どうなってもいいって。
 こんなささやかな幸せなんて踏みにじってもいい。
 あたしの知らない所で賑やかにやってる街も焼き尽くしちゃっていい。
 名前を知らない誰かだって、叩きつぶしちゃえばいい。
 ……あの人達があたし達を力ずくで止めてくれなかったら、きっと、今頃。
 あたし達は、焼け野原の上に、ドクターが約束した世界を作っちゃってたのかもしれないッスね。
 ささやかな幸せも、賑やかな街も――きっと、すれ違ったこともなかったあんたも、みんな瓦礫の下に埋めちゃって。
 本当は……資格なんて、無いんッスよ。
 こんな所でこうやってる、資格なんて。
 本当のことを言うと、管理局は甘いなって思ってたんスよ。
 あれだけ大規模の事件を起こしたんッス。
 一生拘禁でも――いや、死刑だって、文句は言えない立場ッスよ。
 それが、やたらレベルの低い拘置処置で。
 何年先になるかはわからないッスけど、釈放も保証されてるッス。
 監視付きとは言っても、ちょっとお願いするだけでこの程度には外出も許してくれる。
 でも、違うんッスよ。
 最近、やっとわかったんッス。
 これは、とってもキツい罰なんッス。
 手が届きそうな所に、幸せが見えてる。
 手を伸ばせば、届きそうに見える。
 だけど、手を伸ばせない。伸ばしちゃいけない……。
 贅沢言ってるのは、わかってるんスよ。
 勘違いしてるのも、わかってるんス。

 あ。
 あはは、は。
 なんか、一人で勝手に盛り上がって、落ち込んじゃったッスね。
 こんなあたしに付き合ってくれるあんたにはちょっと感心するッスよ。
 でも……あまり優しくしないでほしいッス。
 勘違いしちゃうッスから。
 頭では、わかってるんスよ。
 あたしは、まともな人間でもないし、犯罪者で一応拘留されてる身ッス。
 人を好きになんてなっちゃいけないし、好きになってもらえるような立場でもない。
 いつまでもこんな事やってても、辛いだけッスから。
 で、でも、あんたの作る料理はマジで美味いッスからね。
 それに飽きるくらいまでは、こんな事続けるのも悪くはないかなって――

 わぷ!?

 そ、そんな、抱きついてくるって何考えてるんスか!?
 みんなこっち見てるッスよ!
 飽きないように頑張らなきゃって、それじゃあたしがやめられなくなっちゃうじゃないッスか!
 だめッス!
 そんなの、酷いッスよ!
 泣くに決まってるじゃないッスか! だって、あたしは普通の人間じゃないし、犯罪者だし、いつ釈放されるかだってわかんないッス!
 いつまでも待つ、なんて言われても、そんなの、信じられるわけ――
 だめッス……それだけはだめッス……なんでって、だって、みんな、見てるから……

 ・
 ・
 ・

「――みたいな事があったら良かったんスけどね……って、二人とも、どうしたんッスか?」
「お前なあ……妄想ネタかよ!」
「真面目に聞いて損したかも……」
「やー、だって、二人して真剣に聞き入ってくるし、サービスしなきゃだめッスかねー、とか思ったもんで」
「ま、このバカにそういう色気のある話を期待する方が間違ってるか……」
「外泊許可まで取ってどっかに消えたから、てっきりそういう話だと思ったんだけどな」
「ディエチはちょっと買いかぶりすぎてんだよ、こいつのこと」
「だいたい、昨日は日付変わる前に帰ってきたじゃないッスか」
「そういや、そうだったな」

「さて、話も終わったようだな。ウェンディ……ちょっといいか?」
「ありゃ、チンク姉。聞いてたんッスか?」
「一応な。で、セインからちょっと連絡があったんだが」
「セイン姉からッスか? あたし宛に?」
「ああ。『ああいう格好は出来れば人目のないところでやってくれ。見ている方が恥ずかしい』だと」
「え……?」
「昨日はシスターシャッハの付き添いで街に出てたらしいな」
「あ、えと、その――」
「『あと、シスターとしては、不純異性交遊は許せないなあ。しかもお姉ちゃんを差し置いて』だそうだが」
「なんで見てるンッスかああああああああ! だからだめって言ったのにぃぃぃっ!」
「あ、逃げやがった」
「人の顔色って、本当に青から赤に変わるんだねえ」
「こりゃ、しばらく遊べそうだな……にしても、チンク姉、容赦ねえな」
「あれは、多分怒ってるんじゃないかな」
「……やっぱ、幼女扱いされたからかな?」
「何か言ったか?」
「え? な、何も言ってないよチンク姉! あははははは」
「……あたし達は、なるべく怒らせないようにしよう」
「同感だ」

 なべて世はこともなし。
 ナカジマ家の夜も、平穏に更けていく。
 ただ一人、秘密を暴露されて凹むウェンディを除いては。

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2009年2月14日 (土)

『ささやかな秘密』(バレンタインSS、のようなもの)

 チチチチチチチ――

 窓の外で、小鳥のさえずる声が聞こえる。
 カーテンの隙間からは、そろそろ高くなりはじめた陽光が差し込んできている。
 土曜の朝寝坊は、ちょっとした贅沢だ。
 特に学校に通うようになった八神はやてにとっては、いつもよりも貴重なひとときと言っていい。
 昨年まではずっとニート――ではなく、在宅学習で一日中家にいて、買い物と通院だけが数少ない外出の機会だった。そんな彼女にとって、学校に通い、友人と語らい、そして魔法使いとしての修行も怠ることはない。あの事件以降一変した日常は充実したものではあったが、少しばかり気疲れのする毎日でもあった。
 もちろん、学校に通うようになる前も規則正しい生活を怠っていたわけではないのだが、今の生活に比べればぬるま湯のようなものだったわけで。
 だから、土曜日の朝だけは束の間の休息をむさぼるのが、八神はやての日常だった。
 いつもとそれほど変わらない、日常の。

「ちょっと、はやてちゃん! 大変、大変よっ!」

 シャマルが、血相を変えて飛び込んで来たりさえしなければ。

「どうしたんやぁ、シャマルぅ――」
「うー、なんだ、よう」

 まだ夢うつつのまま、はやてはぼんやりと身を起こす。ヴィータも渋々起き上がってきたが、まだ意識は半分以上夢の中のようだ。
 寝起きが悪い方ではないのだが、微睡んでいるところを叩き起こされてしまっては、さすがにすぐシャッキリというわけにはいかなかった。
 もっとも、その眠気もすぐ消し飛ぶことになるのだが。

「シグナムが、シグナムが――チョコ、買ってたの!」
「なんやてーーーーーーー!」

   ●   ●   ●

「どうや、シャマル。シグナム見つけられたか?」
『アルファー1、ターゲットを捕捉。追跡ミッションを継続する。ターゲットは道場へ向かっている模様。どうぞ』

 思念通話で返ってきたシャマルの口調に、ヴィータは思いっきりげんなりした顔をして見せた。

「ダメだ、あいつノリノリだぞ」
「あはは、そうみたいやな。シャマルはこういうイベント大好きっぽいし」

 きっとあのどこから見ても怪しいサングラスを掛けてシグナムを追跡しているのだろう。

『しかし、あまりいい趣味とは言えないと思うのだが』
「なんだよ、興味ないならついてこなきゃいいだろ、ザフィーラ」

 ザフィーラはヴィータのその言葉に、困ったような表情を浮かべた。子狼形態のその表情は、ちょっとした見物だったりする。

『なにも、想い人に渡すチョコとは限らないだろう。たしか、今年も翠屋で例のチョコを予約していたのだろう?』

 そう。
 いつもとは明らかに違うこの日は、恋に胸躍らす乙女にとってはとても重要な、決戦の日。
 ただ、大変に残念なことだが、八神家の面々にはあまり縁のないものでもあった。
 とにかく色気のある話に縁がない。
 せいぜいはやてがクラスメイトに配る義理チョコとか、ヴィータがゲートボール仲間の老人に配る義理チョコとか、その程度。あとは家族内で家族チョコという名目で買ってくる翠屋のスペシャルショコラぐらいが、毎年の楽しみだった。

「みんなの分とは違うんよ。シグナムのは、別口なんや」
「ああ。そっちの分はシャマルが取りに行ってたんだから、間違いねえ。翠屋の予約特注品だしな。ギガウマなんだよなー、あれ」

 そう。
 クリスマスとならんで翠屋にとっては重要なイベントであるこの日限定で高町桃子が腕を振るうスペシャルショコラは、予約しておかないと入手はほぼ困難な超人気商品だ。ややビターながら蕩けるような口当たりで、ふわりと口の中でほどけていったチョコレートの風味が甘さと一緒に舌の上にいつまでも残る、本物の絶品。 ゆえに、彼女の娘である高町なのはの友人、というコネを使っても、八神一家分の6つを確保するのが精一杯なのだ。
 だが。
 朝から特別に営業している翠屋に予約品を取りに行ったシャマルが目撃したのは、奇妙に人目を気にしながら店舗前の臨時カウンターで何かを受け取っているシグナムの姿だった。
「スペシャルとは違ったけど、ずいぶん高そうなチョコを買ってたの。包装もしっかり桃子さんにしてもらって、嬉しそうな顔してたのよ」とは、一部始終を目撃していたシャマルの証言である。

「やから、誰かにプレゼントするものなのは間違いないんよ」
『いや、しかしプライベートに踏み込むというのは――』
「ザフィーラ」

 にっこりと、はやては笑った。
 その右手に、何故か板チョコが握られている。1枚消費税込み94円のプレーンなブラックチョコだ。

「バレンタインチョコ、ここでザフィーラにあげよか?」
『あ、いや、その』
「ここで食べるなら、ザフィーラの言い分聞いてあげてもええんやけどな」
『あ、主?』

 ザフィーラはようやく気付く。はやての目が笑っていないことに。

「食べるなら早くしてくれん? でなければ帰るか?」

 ザフィーラのしっぽが、腹の下に潜り込んでいた。
 初めてのバレンタインデーで勧められるままにチョコを口にし、酷い目にあったことは、ザフィーラの記憶に痛いほど刻み込まれているのだ。
 異世界の狼も、やはりチョコレートは鬼門なのであった。

『すまん、シグナム』

 八神家唯一の良心は、自分の命を優先することにしたらしかった。

 

 

「遅かったわね、はやてちゃん」
「お待たせや、シャマル……シグナムは?」
「中に入ったわ。道場の人たちもかなり来てるみたい。今日は稽古の日なのかしら」

 駅前にあるとあるビルの前。
 案の定、例のでかいサングラスを掛けたシャマルがはやて達を待っていた。

「チョコ渡す相手も、この中に来てるんやろうか」

 はやてはビルを見上げる。
 周囲の建物とたいして変わらないようでいて、その実このビルはひときわ異彩を放っている。剣道、空手、柔道――その他諸々。様々な武道の名が、ビルの看板に刻まれているのだから。
 シグナムがアルバイトで臨時師範を務めている剣道場も、このビルの中にあった。

「かも、しれないわね。わざわざここに来る前にチョコ買ってたんだし」
「うーん、ここの人って言うと……赤星さん、やろか?」

 それは、ここの剣道場に所属する青年の名だった。実力は全国レベルで、こと『剣道』という競技の枠の中であればシグナム以上、とシグナム自身が認めるほどの剣士だ。生まれる時代が違ったなら剣一本で名を上げたかもしれない。
 容姿も芸能界から引き合いが合ってもおかしくないと思えるほどで、しかも紳士的――『あれで女たらしならいくらでも食い放題だっただろうな』とは友人である高町恭也の評だ。
 もっとも、ストイックと言うよりは大変な朴念仁である彼は現在に至るまで特定の女性とつきあっていたことがない、という証言も高町恭也から得られている。
 それだけに。
 シグナムという無双の剣士は赤星にとっても特別たり得るはずだ。
 そして、シグナム自身の口から特定の名前が出る男性というと、やはりはやてにはそれくらいしか思い当たるところがなかった。

「どっちかっつーと、一度本気でやり合ってみてえ、って感じだったけどな」

 ヴィータは納得できないように首を捻る。

「ええい、案ずるより産むが易しって奴や!」

 はやてはどこからともなくサングラスを取り出し、拳を突き上げる。

「捜査の基本は潜入から! 行こか、野郎ども!」
「おおー!」
「おー」

 何故かヴィータのテンションは低い。

『どうした』
『シャマルのセンスが変なんだと思ってたけどさ、あれ、もしかしてはやてに影響されたんじゃ……』
『……考えるのはやめた方が良い』

 ため息は、二つになった。

 
 
 
 
 

 数分後。

「やあ、はやてちゃんにシャマルさん、なんでこんな所に?」
「ひゃあっ!?」

 潜入捜査員達はあっさりと発見されていた。
 さわやかな笑顔を浮かべる好青年……これが表面だけではなくきちんと内面まで本物の好青年なので、女子からは大変な人気を誇るのだが。

「え、えと、お久しぶりです」
「ほんと、ご無沙汰しちゃってて……」

 一応隠れて様子をうかがおうとしていたのに、発見されるまでには10秒ほどの時間も要しなかった。もちろんその格好にも問題はあったのかもしれないが、げに恐るべきは達人のカンである。

「えーと、そのサングラスはちょっと趣向を変えてみたのかな。結構似合ってると思いますよ」
「あ、あはは、そうですか?」

 はやての口許が引きつっている。どこから見ても怪しいその格好を似合っていると褒められても嬉しくないのかもしれないが、自業自得というものだ。

「シグナムさんに用事かい? さっき、チョコを道場の男子に配って出て行ったけど、会わなかったのかな」
「え?」

 はやては思わず聞き返していた。
 すれ違ったのなら気がつかないはずはない。と言うことは裏口あたりから出て行ったのかもしれないが――

「ごちそうさまって、お礼、言っといて貰えるかな。みんなに配ったらさっさと出て行っちゃってね。何か用事があるみたいだったけど」
「あ、赤星さんもシグナムからチョコ貰ったんですか?」
「ん? ああ。みんなと同じのを貰ったよ」

 右手に持っていた小さな包みを嬉しそうに見せる。透明のビニールに小分けされた、カラフルな包み紙に覆われた物体は、確かにチョコレートのようだ。
 けれど。

 ――本命と、違う。

 誰が見ても、それは義理チョコに分類される代物だった。そもそも翠屋の丁寧な包装でさえない。いまいち不器用な封の仕方はシグナムの手作業を感じさせたが、その程度は義理チョコでも普通にあり得るだろう。

「シグナム、どこ行ったか知りませんか?」
「ん? いや。帰ったんじゃないのかい?」

 首を捻る赤星は、嘘を吐いているように見えなかった。

 
 
 
 
 

「どこ、行ったんやろ……」

 車いすに乗っていても、明らかにとぼとぼという形容詞が似合う背中というものはあるものだ。
 今のはやては、まさにそれだった。

「ごめんなさい、はやてちゃん。完全にシグナムの足取り、見失っちゃったわ」

 シャマルもがっくりと肩を落としている。
 探知魔法を行使すればシグナムの所在は掴めるかもしれない。が、それは同時にシグナムに気付かれることを意味する。そもそも人通りの多くなってきた町中でおいそれと魔法は使えなかった。

「もうやめて帰ろうぜ。あとで聞けば、シグナムだって教えてくれんじゃないか?」
「こういうのはこっそり応援するのが楽しいんよ」

 ふう、とはやてはため息を吐く。

「ま、しゃあないな。帰ろか」
「ああ、桃子さんのスペシャルチョコも待ってるしな! 待ちきれねーよ」

 我慢の限界に到達したと主張するヴィータに、ようやくはやても口許をほころばせる。はやて自身もかなり楽しみにしていたチョコだ。

「隠し事をするようなシグナムの分は、ちょっと差し押さえってのもええね」

 くすくす笑いかけたはやては、ふとザフィーラの方へと顔を向けた。
 とことこと一同のあとを付いてきていたはずの彼は、何故か立ち止まり明後日の方に頭を向けて立ち止まっている。

『シグナムだ』
「え――」

 はやては思わずその視線を追う。
 たまたま通りがかったそこから近い、雪に覆われた小高い丘。その中腹を斜めに走る車道を、誰かが歩いている。
 いや、特徴的な紫炎の如き髪を見れば、それが誰なのかは一目瞭然だ。
 彼女が向かっているのだろう場所に何が有ったのかを思い出し、はやては小さく息を呑んでいた。

 
   ●   ●   ●
 

 公園に、人の気配はほとんどない。
 休みの日とは言え、まだ午前中の冷え込みが酷い公園をわざわざ訪れる物好きは少ない。だからこそ、なのはやフェイト達とともに、はやても魔法の訓練をするときここを使うのだが。

「久しぶり、だな」

 彼女は苦笑するように肩をすくめる。

「お前が好きそうなチョコを選んだつもりだ」

 すこしばかり過剰な包装を開いているらしい音は、中身を早速確認しているのだろう。

「少しばかり、恥ずかしかったがな。他ならぬお前のためだ。気にしなくていい」

 ベンチに腰掛け、彼女は天を仰ぎ呟き続ける。

 ただ、一人。

 そう。
 シグナムは誰もいない公園で、ただ空に向けて語りかけていた。
 それはきっと、その空に消えていった、彼女のため。

「リインフォース……」

 はやては、呟くその声を抑えることが出来なかった。
 忘れていたわけではない。
 思い出さない日など、一日たりとて無かった。
 この公園で、笑いながら空に溶けていった、今はもういないもう一人の家族。

「主はやて、来ていたのですか」

 はやてのその言葉を耳に留めて、シグナムは振り返る。その顔に、驚きの気配はなかった。もしかしたら、最初から気付いていたのかもしれない。
 その手には、消えたリインフォースのために買ったのだろうチョコレートの箱が乗っている。
 だから
 だからこそ、はやては問う。

「なんで? なんでや? なんでシグナム一人だけでこんな事するん? リインフォースの分やって、ちゃんと買ってあるんよ!」

 そう。
 翠屋で買うチョコは6つ。
 ヴォルケンリッター4人分と、はやての1人分と、そして、リインフォースの1人分。
 ザフィーラとリインフォースの分は後日みんなで分けて食べられることになっているが、それでもそれは彼女たちにとって必要な儀式だった。
 これからも、ずっと。
 きっと、彼女の名前を受け継ぐ家族が生まれるまで。

「申し訳ありません……黙っていたのは、謝ります」

 シグナムは、今にも涙を流して怒り出しそうなはやてに、小さく微笑んでみせる。

「でも、頼まれていたのです。彼女に――リインフォースに」
「頼まれてたって……何を?」

 シグナムは微笑んだまま、首を横に振る。

「黙っているように、と。ですが、仕方ありませんね」
「え?」
「主はやて、これを」

 差し出された欠片は、ピンク色に染められた、チョコの欠片だった。
 一瞬躊躇し、それからはやてはそれを口の中へ運ぶ。

「――甘っ!!」

 思わず口許を手で覆ってしまうはやてのその姿からして、相当に甘かったのだろう。横からもう一つの欠片をつまみ食いしたヴィータも、同様に顔をしかめている。

「何だこれ。本当に翠屋のチョコかよ!」
「桃子さんに頼んで、特別に作ってもらった。ミルクチョコのミルクを加糖練乳にして、更に砂糖をたっぷり足し、イチゴの果汁と果肉を追加して貰っている。あれは猛烈に甘い物が好物でな……」
「そうやったんか……」
「し、知らなかったわ……」
「あたしもだ」

 シグナムと同じく長い時間を彼女と過ごしていたはずのヴィータとシャマルも、少し驚いたような顔をする。

「当然だ。お前達には悟られないよう、気をつけていたようだからな」
「なんでだよ」

 シグナムが浮かべた微笑みは、苦笑の形に変わっていた。
 まるで、我儘を言う妹を思い起こしているかのように。

「イメージに合わないから、だそうだ」

「……へ?」
「そ、それだけ?」
「それだけだ」

 大まじめな顔で、シグナムは頷いてみせる。

「まあ、確かにイメージには合わないかもしれへんな……」

 呆然と呟いて、それから。

「く……あはは、あはははははは。なんや、えらい細かいこと気にしてたんやな、あの子は」

 はやては爆笑をはじめた。まなじりに涙を浮かべながら、車いすの上で躰を折りたたむようにして笑い続ける。

「バカじゃねえのか、あいつ。何格好付けてんだよ」
「もう、言ってくれれば甘い物くらい調達してあげたのに……」
『気持ちは、わからないでもないが』
「おかげで苦労させられた。私も偶々知ったのだが、誰にも言うなと詰め寄られてな……そのくせ、知っているのだからとこっそり甘い物を調達する役目を押しつけられたりな。それがまた半端な甘い物では納得しないもので……」

 肩をすくめるシグナムの手を、不意にはやての手ががっしりと掴んでいた。

「シグナム、わたしの知らんリインフォースの話、いろいろ聞かせて貰おか。主に、その辺のネタでな!」

 やけに嬉しそうなはやてに、シグナムはやれやれという顔をして、それから首を縦に振る。

「いくらでも、主はやて」

 バレンタインの聖日はまだ半日以上残っている。話は、尽きぬほどあるだろう。
 シグナムは、最後にもう一度だけ天を見上げた。

「迷惑を掛けられた分の仕返しは、させて貰おう」

 そして、笑顔を天に向ける。

「だが、私はそんなお前のことも、好きだったぞ」

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2009年1月30日 (金)

『死色の緋』 プロローグ

 落ちていく。
 どこかへ、と言うわけではなく、ただ落ちていく。
 人であったときに備えていたものを、少しずつ削ぎ落とされながら。
 苦痛はない。五感はその機能を失っている。感情もすでに抜け落ち、いずれ思考さえも消え失せるだろう。
 俺にとって、それは覚えのある感覚。
 恐怖はない。

 絶望はない。
 未練もない。
 為すべき事を為し終えられず、聞かねばならぬ答えも聞くことは出来なかった。
 そのことに悔いはある。
 けれど。
 古代ベルカの技を受け継ぐ騎士として、同じ古代ベルカの剣に斃れた。
 それで、充分だろう。
 その我儘につきあってくれた騎士に、残された思考で感謝の言葉を思い浮かべる。

『お前だけ、満足しやがって』

 聞き覚えのある声に、ふと目を開けた。
 そこには、懐かしい友の顔。
 ついさっきまで言葉を交わしていたのに、何故こんなに懐かしい思いを抱くのだろう。

「ずいぶん、痩せたな」
『俺はもともとこうだった。歳喰って太っただけだ』

 ああ。そうだった。
 もうずいぶん前の話になる。
 今目の前にいる友は、そのときの姿をしている。それだけだ。

「単に運動不足だ。少しはジムにでも通っておけばもう少しマシになっただろうが」
『そんな時間があれば苦労はせん』

 古くからの友は、若かった頃の精悍な顔に苦笑いを浮かべている。

「そう、だな。だが、師匠に今の言葉を聞かれたら、大目玉を食らうぞ。いくら忙しくても鍛えるのをやめた時点で魂が腐るとな」
『う……。そうだろうな。だが、あの人はいくら何でも規格外すぎる。その基準で語られてもだな――』
『誰が規格外だって?』

 すぱーんと、友の頭がいい音を立てた。

『ごあっ!?』

 不意打ちに、友が思わずうずくまる。
 その背後に立っていたのは、ひどく懐かしい、顔。

『お前も昔はそれなりにいい男だったのに、どこで間違えたやら』

 友の頭をヘッドロックの形に軽く極めて、俺たちの師匠は笑う。かつての彼女とかわらない、屈託のない笑顔で。

『い、いたたたたたた、や、やめてください師匠――いたたた、割れる割れる砕ける中身が出る!』

 軽く極めているようにしか見えないのに、友は本気で悲鳴を上げている。
 そういえば、この人はその腕力も規格外だった。きっと友の耳には頭蓋骨の軋む音がはっきり聞こえているに違いない。
 いつも、そうだった。
 そう。あの頃は毎日がこんな感じだった。
 だから。

「ごめんなさい、師匠」

 頭を下げる。
 いつの間にか、“僕”の身体はあの頃の細くて頼りないものに、戻っていた。

『すみませんで済むか。二人揃って勝手に逝きやがって』

 不機嫌そうに、師匠は口をとがらせる。
 それもまた、懐かしい光景。
 過ごしてきた日々が、僕の左右を駆け巡っていく。
 きつくて、辛くて、大変で、ひどい目にもさんざん遭わされたな。
 だけど。

 それだけは、言わなくちゃならなかった。




Photo




「旦那――? 旦那ぁーーーーっ!」

 悲鳴にも似た絶叫が、部屋中に響き渡る。

「――――?」

 息絶えたはずの男の唇が、微かに震えた。
 もう何も見なくなったはずの眼が、肩を抱く騎士の顔を一瞬映す。
 けれど、それは本当に束の間の身じろぎ。
 男の身体から最後の力が抜け、大事な何かが失われた。
 そこにあるのは、かつてゼストと呼ばれた騎士の骸。

「あ、り、が、と、う――?」

 シグナムは、今は亡き騎士が刻んだ最期の言葉を、ゆっくりと繰り返す。
 誰に向けた言葉だったのだろうか。
 答えは、もう永遠に失われたのかもしれない。
 彼女はそっと男の骸を横たえ、窓の外に目をやる。

 もうすぐ、全てが終わる。
 終わらせるために。

 シグナムはもう一度、立ち上がる。
 騎士の骸に、背を向けて。

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2008年7月27日 (日)

コミケ新刊情報(最終版)

新刊などの入稿作業が全完了しましたので、内容を更新します。

8月17日(日曜日) 東123ホール ク-09ab(合体)『ちょー人計画』&『ひすてりしす・るーむ』

☆ちょー人計画新刊

合同誌『SIGNUMITE EXPLOSION』(シグナマイトエクスプロズィオーン)

B5サイズ フルカラー表紙 92ページ 頒布価格 700円

シグナムさん合同誌。参加者はちょー本人を含めて28名!
SS17本、イラスト6P マンガ5本からなる合同誌です。
少数ですが成年向けの作品が含まれるため、成年向けの頒布となります。

参加サークルリスト他は特設ページ参照

Sigex_bnr

準新刊 小説本 『真版・銀光に舞えよ不死鳥』

文庫 フルカラーカバー 392ページ 頒布価格 1500円

過去刊行された『銀光に舞えよ不死鳥』に加筆修正を行い作り直した一作。
美由希視点からのエピソードが挿入されています。
今回が最終発行です。

カバーイラスト、挿絵を柚子苑のゆずんさんにお願いしています。

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☆ひすてりしす・るーむ新刊

小説本 『君の手が借りられたなら』

文庫 フルカラー表紙 68ページ 頒布価格400円

ユーノ主人公の中編小説です。

本文は本作が初同人誌となる「ふじなま」が、表紙は「ちょー」が描いています。

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2008年7月18日 (金)

始まりのエピローグ・24

「おかしいと、思わなかったか?」
「何がだよ」

 写し身の騎士達が消え去った夜空の上で、シグナムの言葉にヴィータは意味がわからないというような顔をした。

「不自然すぎる。主はやては何故、もっと確実な魔法で我らを吹き飛ばさなかった」
「何故って――」

 答えかけたヴィータは、そこで言葉に詰まる。

「そもそも、宿でクロノ執務官と戦っていたとき――あのときも、おかしかった」
「わからん。何を言っている?」
「クロノ執務官が我らを背にしたとき、主はやては砲撃を放たなかった」
「そりゃ、当然だろ」

 何を言っているのか、という口調で、ヴィータはシグナムをにらみつける。

「いや、違う。当然ではない」
「何が違うんだよ!」
「あのとき、主はやてはクロノ執務官が我らを――そしてなのはやテスタロッサを背後においたために、攻撃を完全に諦めていた」
「それは――はやてが、優しいから」
「そうじゃない」

 シグナムは首を横に振る。

「当然ではないのは、クロノ執務官の方だ」
「え――?」
「クロノ執務官は、テスタロッサの命を救うと、そのためならすべての罪を負うとまで、口にしていた。そのクロノ執務官がテスタロッサを盾にするなど、不自然きわまりない」
「それは、確かに、そうだけど――」
「それで、お前はそこに何の意味があると考えているのだ」

 ザフィーラが静かな声で問う。

「執務官は、何かに気づいていた」

 シグナムはゆっくりと言葉を選ぶ。

「そして、その何かを確認するために――いや、我らに見せるために、あのような方法を取ったのではないか?」
「でも、はやてを殺そうとしたじゃんか!」
「起動にひどく時間の掛かる魔法で、な」

 シグナムは己の拳を見つめる。

「まるで、誰かが割り込むのを待っていたかのように」
「それって――」
「そうだ、シャマル。執務官は、待っていたのだろう。私が立ち上がれるようになり、割り込めるようになるまで」
 シグナムは、もう確信の色をその瞳に浮かべていた。
「あのとき、私は飛翔するのが精一杯だった。なのに、執務官はそんな私の剣に遮られて魔法を止めた。軽く振り払えただろう私の腕を、無理に振り払うこともしなかった」

 そう。
 彼女は、理解していた。
 クロノがわざわざシグナム達の回復を待った理由も。
 クロノが彼女に譲った意味も。
 そして、自分が何をしなければいけないのかも。すべて。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 ぱん。
 乾いた、音だった。
 重くもない。大きくもない。けれど心に響く音。

「あ……」

 はやてが、つぶやく。

「叩い……た?」

 その手が、頬を抑えている。
 赤くなった左の頬を。
 赤くなっただけだ。少し腫れてはいるだろうし、しばらくはじんじん痛むかも知れない。けれど、それだけのこと。

「ええ、叩きました」

 シグナムは淡々と答える。
 傷だらけの身体からは、未だ大量の体液が流れ出している。シャマルの再生魔法ですでに修復は始まっているが、それでも、立っていられるのが不思議なほどの重傷。
 けれど、シグナムはしっかりと立っていた。
 そこで膝をつくわけにはいかなかったから。

「痛いですか、主はやて」

 己の痛みなど無視し、問う。

「痛い――よ」

 長い療養生活で痛みなど堪え慣れているはずのはやてが、震える声で答える。

「主はやて……いえ、はやてがいくら言葉を重ねてもわからないなら、叩きます。何度でも、叩きます」

 繰り返しながら、彼女は自らの平手にもう一度視線をやる。
 はやての頬を叩いた、右の平手。
 彼女が騎士として生を受けて何年の時が経過しただろうか。数え切れない年月を無数の主たる人間とともに過ごしてきたはずだ。けれど、それが主に向けられたことはただの一度もなかった。あるはずがなかった。彼女は主の忠実な騎士なのだから。
 まして、それをはやてに向けることなどあってよいはずはない。
 けれど、シグナムはそうした。

「家族ですから――」

 絞り出すような一言。
 そうするだけに、どれほどの勇気がいったのだろうか。

「間違っている事には間違っていると言います。必要なら叩きもします」
「わたし、間違っとったか……?」
「間違ってるのに、気づいてなかったわけではないのでしょう?」
「そんな事ない……わたしは間違っとらん……」

 弱々しく、頭を左右に振る。
 けれど、その弱々しさこそが、あまりにも明快な回答。
 だから、シグナムはもう一度告げる。

 

「リインフォースは、あなたと一緒に消えたいなどと思っていません」

 

 そう。

 それこそが、はやての選んだ選択。

 リインフォースの再生は、暴走したロストロギアによる一時的なもの。
 魔力を使い切れば、あの担当官が断言したように消え去るだろう。防衛プログラムが暴走すれば、使い切るには数秒ほどの時間しか必要あるまい。
 そのときに、はやてが融合していたらどうなるか。
 リインフォースだけ消える、という可能性は、低い。
 きっと一つになったはやてと一緒に、溶けゆくだろう。

 

 ☆ ☆ ☆

 

「そんなこと、あらへん……」

 はやては否定しようとする。
 けれど、シグナムはもう一度それをはっきり否定する。

「ならば、なぜ、いまあなたはリインフォースの姿をしていないのですか?」
「それは……」

 はやては答えられなかった。
 今リインフォースにユニゾンの主導権を渡せば、どうなるか。彼女がいったいどんな選択肢を取るか、知っていたから。

「主はやて――」

 シグナムは細いその躰を抱きしめる。
 いとおしき、主の身体を。

「もう、いいんです」
「でも、だめや……リインを、あの子を、一人で行かせたくない」
「そんなこと」

 シグナムはつぶやく。

「みんな一緒だよ、はやて」
「私達の誰一人、あの子を一人で行かせたいなんて、思ったことはないわ」
「そう、我らはいつも皆で共にありたいと望んでいた」

 ヴィータも、シャマルも、ザフィーラも。
 シグナムと一緒に、首を縦に振る。

「けど、それではやてがいなくなっちゃうのは、もっと嫌だ」
「ヴィータ……」

 はやては嗚咽を漏らす。

「はやてちゃんがいない世界なんて、我慢しきれないわ」

 シャマルの手が、はやての肩にそっと添えられる。

「それに、リインフォースも、それを望まない……すべてを我らに、そしてあなたに託したからこそ、彼女は笑って消えることが出来た」
「けど!」

 はやては顔を上げる。
 傷だらけになった騎士の顔を、見上げる。

「あの子だけ消えてしまって、それでいいわけあらへんやないか!」
「リインフォースは、消えません」

 それは確信だった。

「彼女が蘇ったのは、消えなかったから――主はやて、あなたの中に息づいていたからです。一緒の時間を生きることは、もう出来ないでしょう。けれど、それでも――彼女は、あなたの中に息づいているんです」

 腕の中の細い躰を、強く抱きかかえる。

「あなたは、良いんですか。自分の罪悪感を打ち消すために、彼女の存在を本当に消してしまっても」
「良いわけ――」

 シグナムの手に、はやての手が重ねられる。

「あらへん」
「なら」

 いとおしい少女の頬に手を添え、騎士は囁く。

「そろそろ、夢から覚ましてあげましょう」

 こくりと、はやては頷いた。

 

 夢が、覚める。

 

「主はやて……」

 微笑むリインフォースの姿は、すでに頼りない幻像のごとく揺らめき始めていた。

「私は、幸せです。幸せになった騎士たちを見届け、あなたとかけがえのないひとときを過ごすことが出来た。ただの残滓でしかない私には過ぎた幸せです」

 はやての頬へと伸ばされたその手は淡い光に包まれ、その向こうがぼんやり透けている。

「リイン……ごめんな……わたしは、ホンマわがままでダメな子や」
「いいえ、主」

 リインフォースははやての頬に流れる涙を、指で掬う。

「あなたのおかげで、私は騎士達がきちんとあなたの家族としてやっていけると言うことまで、知ることが出来た」

 ふっと微笑み、シグナムに代わってはやてをかき抱く。

「あなたは、私にこういいました。夢は、夢だと。今度は、私が言う番です。主はやて」

 少しずつ色あせていく手が、はやての頬に添えられる。

「主はやて……私は束の間の夢です。夢は、夢。本物ではありません。そんな私が消えるのは、悲しくも、寂しくもないことです。ですから、泣かないでください」

 そして、はやての脚に、そっと手を伸ばす。

「あなたは、罪を背負わなくて良い。ありもしない重さにおびえて、立つことを諦めないでください」
「何でも、お見通しなんやな……」

 はやては、泣きながら笑顔を浮かべてみせる。

「私は、ずっとあなたと一緒に居ましたから」

 リインフォースもまた同様に、笑顔を浮かべる。

「だから、もう一度呼んでください、主はやて」

 そう。
 もっと早くに気づくべきだったのかもしれない。
 あの朝、ただ一度口にして以来、それから一度もはやてはその言葉を口にしなかった。
 それは、夢を終わらせる儀式だったから。

「うん――」

 涙を流しながら、しゃくり上げながら、はやてはゆっくりと、はっきりと、その言葉を唇に載せる。

「強く支えるもの――」

 頼りなく色あせたリインフォースの手に、己の手を重ねながら。

「幸運の追い風――」

 リインフォースの流す涙を、そっとぬぐいながら。

「祝福のエール――」

 微笑むリインフォースに、精一杯の笑顔を向けながら。

「――リイン、フォース……」

 ひゅう、と風が吹いた。
 微笑んだリインフォースの姿が、揺らぐ。
 まるで、その風に誘われたように。
 風の中に吸い込まれていくように。
 はためいた銀髪の先が崩れ、そしてリインフォースの姿は光へと変わっていく。

 

(ああ……本当に幸せでした)

 彼女を形成していた自我が、崩壊していく。感情を構成していたプログラムはエラーを起こして消滅し、記憶を構築していた膨大な情報も堰を切ったように無限の彼方へと散逸する。
 その合間。
 彼女は束の間の夢を見る。
 それはひどく暗い部屋の中。
 いくつかの計測器に囲まれたガラスケースの中に、光がある。
 懐かしさを感じるそれは、リンカーコアのかけら。
 蒼天を思わせる涼やかな光の、かけら。

(はじめまして、祝福の風を継ぐものよ)

 彼女は知っている。
 いつか、このかけらこそが主であるはやてと共に生きていく存在になるのだと。
 リインフォースの名を継ぐ、新たなはやての家族になるのだと。
 まだそれは胎児にも似た未分化の存在でしかない。けれど、その中には確かなたましいが宿ろうとしている。

(私はあなたに何も出来ない。力を伝えることも、記憶を伝えることも、言葉を残すことさえ出来ない。私に出来るのはたった一つ)

 だから、彼女は両の手をそっと合わせる。

(祝福しましょう。新たな祝福の風の誕生を。主はやてと共に在るべき蒼天の光よ)

 祈る形に合わせた両手が、そのまま粒子のようになって形を失う。
 リインフォースという存在を構築していたすべてが、虚空へと溶け込んでいく。
 けれど、彼女は消えるのではない。
 帰るのだ。
 彼女が在るべき所へと。

 

「リインフォースっ!」

 はやての悲鳴にも似た声に、赤い光がもう一度だけ瞳の形を取り戻す。

 ――ありがとう。。

 その形に、口であったもののシルエットが一度だけ動く。
 そして。
 夜の闇が帰ってくる。
 静かな、月守台の夜が。
 風のかすかな音が響く。虫の囁く声が聞こえてくる。遠くの街も色を取り戻している。彼女たちを取り込んでいた結界はすでに失せたのだろう。

「あの子は、帰ってしもうたんやね……夜の空に」

 背後からシグナムに抱き留められた体勢で、はやてはぽつりとつぶやいた。
 その躰は、もう騎士甲冑に包まれていない。故に、彼女はまた立つ力を失っている。

「違います」

 けれど、シグナムは首を横に振る。

「さっきも言いましたよ。リインフォースはここにいます、と」

 そして、改めて彼女は自分の胸にも手を添える。

「そしてきっと、私たちの中にも」
「そうだな。もしかしたらあいつ、忘れられないために出てきたのかもな。ああ見えて、寂しがりだから」

 ヴィータが顔をゆがめて笑う。
 今にも泣き出してしまいそうな笑顔で。

「そうやな……みんな、リインフォースと一緒におったんや」

 はやてがようやく頷く。

「リインフォースを一人ぼっちにさせたらあかん、なんて思って、最低の間違いをするところやった」

 ぎゅっと、シグナムの胸元にしがみつく。

「いっ――!?」

 思わずシグナムが悲鳴を漏らしたのは、無理もない話だ。何しろシグナムの身体は未だ傷だらけで、十分に回復していない。緊張が抜けたために、痛みが一気に襲ってきたのだろう。
 思わず反応したはやては、シグナムから身を離そうとする。けれど、魔力の補助なしには立つことも出来ない彼女の身体は、支えを失えばぐらりと傾いてしまう。

「も、申し訳ありません。主はやて」

 あわててシグナムははやての身体を支えなおす。

「そうやな……そろそろ、帰ろうか。みんなにも謝って、クロノ君にも謝って、悪いことした分は、ちゃんと償わんとあかん」
「その必要はないんだが」

 その声は、騎士たちのものではなかった。
 揃って見上げられた視線の中、夜の闇から人影が二つ降りてくる。
 クロノとユーノ。
 結界の外で成り行きを見守っていた二人は、それが消滅したことで終結を知ったのだろう。だが、何故か二人は不自然に視線をそらしていた。奇妙に気まずそうな様相だ。
 そんなクロノの手には、小さな袋がぶら下げられている。

「忘れ物だ」

 乱暴に放り投げられた袋をのぞき込み、はやては顔を紅くした。
 それは、下着まで含めたはやての衣服一式だったから。

「あ――」

 今頃になって、はやてはようやく気づく。
 自身が素っ裸のままだったと言うことに。

「み、見んといて!」
「言われなくとも、みてはいない」

 クロノは怒ったように、口をとがらせる。

「み、見たくないんか? わたしの裸なんか」
「そう言う問題でも、ない」

 クロノは頭を抱える。

「いいから、さっさと服を着てくれ!」

 くちゅん、とかわいらしいくしゃみを一つ漏らし、はやては慌てて下着を手に取った。
 

「それで、必要はないって、どういう事?」

 服を着込んだはやての顔は、まだ少し紅かった。

「君が罪を償う必要なんて、無いって事だ」
「でも、なのはちゃんとフェイトちゃんが――」
「二人とも、もうとっくに目を覚ましたよ。今のところ異常はないみたいだ」

 ユーノは皆を安心させるよう、努めて朗らかにそのことを告げる。

「良かった……」

 ヴィータが心底ほっとしたような顔をした。

「なのはがあのまま目をさまさねーとか言うことになったら、寂しかったからな」
「とりあえず、帰ってもう一度一風呂浴びて寝たいところだが」

 クロノは疲れた表情で、自分の肩を軽く揉む。全く緊張感の感じられないその表情を見れば、本当に二人には全く異常がないのだと言うことが知れた。けれど。

「けど、あかん。わたしはいっぱい悪いことをしてしまったから」

 はやてはうなだれる。
 なのはやフェイトに対する傷害ははやての意図ではなかったとしても、許可のない魔法行使。そしてヴォルケンリッターを相手にした戦闘行為。なによりもリインフォース復活を本局に報告しなかったこと。仮にも保護観察の身でこれだけのことをしたのだ。言い逃れのしようなど、無い。

「悪いこと? 何の話だ?」

 こきこきと肩を鳴らしていたクロノが、意外そうな声を上げた。

「へ?」

 むしろ、そのクロノの返答にはやての方が驚いてしまう。

「だ、だって、なのはちゃんやフェイトちゃんに悪いことをしてしもたし――」
「君たちは」

 クロノは背中を向けた。

「ケンカをしただけだ。家族内のケンカをいちいち管理局に報告するほど、僕たちは暇じゃない。それになのはとフェイトは湯あたりしただけで、アルフは、そう、呑みすぎだな」
「けど、それじゃ……」
「なのはにもフェイトにも何もなかった。僕はそれでいいと思ってる」

 はやての言葉を遮って、クロノは手をひらひらと振る。

「確かに、ちょっとスケールの大きな家族喧嘩みたいなものですもんね」

 もっともらしく頷いたのは、シャマル。

「いーのかよ、そんないい加減なことでさ」

 憎まれ口を叩くヴィータに、クロノは苦笑して向き直った。

「いい加減というか、罪の問いようがないんだ。前に母さんが指摘したように、復活したのはリインフォース一人……そもそも、正式にデータの採取をしてないから、消滅したはずの彼女が再生したって事実を立証することさえ出来ない」

 指折りながら、立件できない理由を挙げていく。

「傷害で立件しようにも、なのはとフェイトに現在異常は認められない。リンカーコアは、先ほど無事に回復したことを確認してる。異常があった痕跡ごとね。ロストロギアの不正使用なども、無理だ。暴走したロストロギアも、公式にはもう失われたことになっている。戦闘行為も完全に身内だけのものだし、封鎖結界内では明確に罰する規定がない。せいぜい、大規模魔法の不許可使用くらいか」

 最後に小指を折り曲げて、クロノは振り返った。

「ケンカに魔法を使うのは、あまり褒められたものじゃないんだがな」
「そう言う問題、かな?」
「そう言う問題さ……」
「そうやな」

 小首をかしげて、はやてはにやりと笑って見せた。
 まだ無理の残る笑顔だったが、それでも笑うことは出来る。なにしろ。

「考えてみたら、クロノ君も犯罪者やしな」
「んな――!?」
「女風呂への乱入とか、しっかりしとるし。そもそもフェイトちゃんに手を出したってのもあったんよね、そう言えば」
「そそそそそれは関係ない!」

 目をむいて怒声をあげ、それからクロノはため息をつく。

「さて、夕食には少し遅くなってしまったが」

 クロノはきびすを返す。

「君たちは先に帰っておいてくれ。結界がもう無くなっているから、人目に付かないようにな。僕にはちょっと用事があるから、後で戻る――あとは頼んだ、ユーノ」
「ああ、任せておいてくれ――気をつけろよ」

 騎士たちに聞こえないように最後の言葉を付け足し、ユーノは一瞬厳しい表情を見せた。
 頷いて地面を蹴り、クロノの身体が宙に浮く。
 その黒い服は、夜の闇に紛れてあっという間に見えなくなった。

「さあ、僕たちは帰ろうか。夕食も用意してあるし」

 ユーノはため息をついて振り返る。その顔に、一瞬前まで浮かんでいた懸念は残っていなかった。

「そうやね……もうお腹ぺこぺこや」
「しかし、夕食はもう片付けられているのでは?」
「一応、部屋の方に用意してもらってる。なのはたちも君たちのことを待ってるはずだし――」

 ユーノの言葉の途中で、甲高い呼び出し音が鳴った。
 はやての胸ポケットに入れられた携帯電話の、着信音だ。

「――アリサちゃんからメールや……『とっとと帰ってきなさい!』やって」
「早めに帰らないと蹴られちゃいそうだ。行こう」

 ユーノの促す言葉に従い、狭い境内を抜ける。
 結界内での暴走事故で焦土となり、はやての魔法によって跡形もなく吹き飛ばされた拝殿も、ユーノの結界の中であるここでは何事もなかったかのように佇んでいる。根本からへし折られた鳥居も、全くの無傷。

「夢の中におったみたいや……」

 シグナムに背負われたまま、はやては呟く。

「夢だった方が、良かった?」
「主が望まれるなら、我らも夢であったことにしましょう」
「あたしたちは、それでもいい。夢として、いつか忘れてしまってもいい」

 従う騎士たちが、口々にそんなことを言う。
 けれど、騎士たちは知っている。
 主が首を縦に振らないと。

「夢は、夢や。現実やない。でも、わたしらがリインフォースと一緒におったのは、現実や。忘れたら、だめや」
「ええ、その通りです。主はやて」

 はやては、頷くシグナムの首に強くしがみつく。

「だから、忘れん。この一週間を……」

 固い決意と共に、呟く。

「――わたしの後悔は、忘れることはない。でも、もう悔いることもない。前に向かって歩くために」

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2008年7月 6日 (日)

始まりのエピローグ・23

「きっ――」
 はやての顔が、更に歪む。
「――来たらあかん!」
 悲鳴じみた声をはやてが上げるのと同時に、黒い短剣が無数に浮かび上がる。
 無造作に撃ち出されたブラッディダガーは、まっすぐにシグナムめがけて飛翔する。常のそれと違って複雑な軌道を描かないそれを躱すのは、それほど難しいことではなかっただろう。
 けれど。
「なんで――!?」
 はやては、驚愕に瞳孔を広げる。
 ブラッディダガーが直撃するその直前まで、シグナムはそれをほんのわずかも避けようとしなかった。爆炎の向こうに消えたその瞬間も、また。
「なん、でや……」
 呆然と呟くはやてをよそに、炎と煙が、何かにかき分けられる。
 また一歩。
 地面を踏んだのは、シグナムの足。
「あ――」
 シグナムはとどまることもなく、数十メートル程度の短い距離をゆっくりと埋めていく。騎士甲冑には、はっきりと直撃の痕跡が穿たれ、彼女が歩んだ後には紅い液体がぽつりぽつりと残されている。それでもなお、シグナムは止まらない。
「来たら――きたら、あかん!」
 漆黒の十字杖を構え、はやては叫ぶ。
「止まるんや!!」
 そのような言葉で、止まるはずがない。レヴァンティンを抜きもせず、シグナムはまっすぐはやてを目指す。
「彼方より来たれ、やどりぎの枝――」
 止まらないと悟ったはやては、より強力な魔法を放つべく、詠唱を開始する。
 今度こそ、止まるはずの攻撃。
「――ミストルティン!」
 空中に展開された六つの魔法陣から、七本の銀の槍が放たれる。
 だが、シグナムはそれを避けようともしなかった。
「いかん――」
 動いたのは、背後に立つザフィーラ。
「おおっ!」
 瞬時にシグナムを庇う位置に立った彼へと、銀の槍は降り注ぐ。
 七本の槍をその身に受け、守護獣はがくりと膝を折った。
「ザフィーラ!?」
「だ、大丈夫?」
 ヴィータとシャマルの気遣う言葉に、彼はただ小さく頷くことだけで答える。
 折った膝をもう一度踏ん張り、地面を踏み直す。槍が集中した左肩からめきめきと進行する石化を一瞥し、ザフィーラは大きく息を吸った。
「ぬうううううううううっ!」
 槍が、砕ける。
 本来なら止まらないはずの石化は、彼の肩口だけでその進行を停止していた。
「すまん、ザフィーラ」
 その傍らを通り過ぎようとするシグナムは、視線を彼に向けることなく、ただその言葉だけを口にする。
「気にするな。これが俺の役目だ。存分、盾として使ってくれ」
 にやりと口の端をゆがめ、ザフィーラもシグナムと肩を並べるようにして歩み始める。
「あかん……ダメや! 来たらあかん!」
 一歩だけ引いたはやては、手にした闇の書を検索し、そして震える唇に次の魔法を乗せる。
「そ、そこまでや! 凍てつく足枷{フリーレンフェッセルン}ッ!!」
 シグナムが踏み出した地面から、唐突に水が噴き出す。
 水は意志があるようにシグナムへとまといつき、そこで瞬時に凍結した。
 シグナムの下半身を覆い尽くす、氷の枷。
「ぐ――」
 シグナムの歩みが、止まる。
 下半身だけではなく、腕までにへばりついた氷はそこでシグナムの動きを拘束し、さらにその氷塊へと新たな氷塊がまとわりつき、強固な独房を構築していく。
 みしみしときしむ音は響くが、それだけでひび一つ入らない。いかにヴォルケンリッターといえども、容易に破砕できる氷ではない。
 シグナム一人ならば、止められただろう。
 だが。
「――こんな、もの!」
 びしり。
 透明だった氷に一筋の白い断層が生まれる。
 断層は瞬く間に細分化し、そして氷塊は瞬時にその姿を失っていた。
「助かった、ヴィータ」
「後ろはあたしに任せろ、シグナム」
 うなずき、再びシグナムは歩を進め始める。
「来たら、ダメや……ぜんぶ、ダメになってしまう――来るなーっ!」
 半狂乱になったはやての背後に、黒い影が生まれる。それは先ほどシグナム達が一蹴した彼女たちの写し身。躊躇もなく無言で地面を蹴った騎士達に、シグナムは初めてその足を自らの意志で止めた。
「お前達は、我らの過去の姿――」
 表情も浮かべない漆黒の騎士達に、シグナムは静かな声で呟く。
 シグナムと同じ姿をした剣の騎士が、レヴァンティンによく似た直刀を振り下ろした。
 防御の一つさえせず、シグナムはその刃を正面から受ける。
 真っ二つになるかと思われたその斬撃は、だがシグナムの額に受け止められたところで止まっていた。
「かつての我らも、お前達同様主の命にただ従っていた」
 シグナムの額に、紅い筋が生まれる。
 ぷつぷつとわき上がった鮮血は、シグナムの顔の中央をゆっくりと伝わり、そして顎の先から胸元へとしたたっていく。けれど、黒い刃はそれ以上進まない。シグナムの左腕一本に受け止められた黒い騎士の腕が込められた力によって震えるが、それでも刃はほんのわずかも食い込むことはない。
 シグナムの側面から襲いかかろうとする騎士達は、ヴィータとザフィーラがあっさり一撃で消し飛ばす。シグナムの前に立ちはだかるのは、シグナムと同じ姿をした剣の騎士一人。
「許せ」
 次の瞬間。
 剣の騎士もシグナムの握ったレヴァンティンによって胴を薙がれる。
 上半身と下半身を分かたれた闇色の騎士は、断面より粒子へと変じ、そして消えてゆく。それは夜の闇から生まれたものが闇に戻っていこうとするかのような光景だった。
 そして、シグナムは再び歩を進めはじめる。
「ダメや!」
 はやての掌に、また魔力球{スフィア}が生まれた。
 放たれる魔法は、なのはのディバインバスター、そして立て続けにフェイトのフォトンランサー。更にはクロノのブレイズキャノンまで。
 乱射された砲撃は、今度こそ間違いなくシグナムを狙い撃っていた。
 爆炎と爆煙に、シグナムの姿が隠れる。巻き上げられた砂塵は、はやての視界さえ奪ってしまっていた。
「シグ――ナム……?」
 気配は、感じられない。一瞬の過熱と衝撃によって真空とほとんど代わらなくなった空間に流れ込んでくる大気が、はやての感覚を奪ってしまっていた。
 ぜいぜいと荒い呼吸を漏らしながら、はやては見えなくなった騎士の名を呟く。
「ここに、います」
 すぐそばに、答える声があった。
 思わぬ返答に、はやての身体が硬直する。
「え――!?」
 それは本当に瞬く刹那ほどの硬直だった。
 けれど、慌てて飛び立とうとするはやての身体に四本のワイヤーが巻き付くには十分すぎるほどの時間。
 展開されかけていた魔法陣が、寿命を迎えかけた古い蛍光灯のように瞬き、ふっと消える。
「クラールヴィント――?」
 己を拘束したものの正体に気づいたはやてが、狼狽の声を上げる。
 一時的な魔力結合阻止効果をもつ、シャマルの拘束魔法。
 巻き上げられた砂煙が、薄れていく。
 もはや、手を伸ばさずとも触れられるほどの距離。そこに、シグナムは立っていた。
 髪の毛をまとめていたリボンはちぎれている。
 その身を守っているはずの騎士甲冑も半ばが焼け落ち、むき出しになった肩から胸元にかけてはひどいケロイド状の火傷と無数の裂傷で見るに堪えないほどの状態だ。
 己の身を守るために捨てたのか、ぶらりと垂れ下がった左腕は炭化しているようにさえ見える。
 けれど。
 それでも。
 シグナムはそこに立っていた。
 残された右腕が、振り上げられる。

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2008年7月 4日 (金)

始まりのエピローグ・22

 ヴォルケンリッター達は、闇に包まれた空を飛ぶ。
 わずかに湿り気を帯びた空気が、騎士達の肌の上を流れていく。頬を切り裂こうとする冷たい空気は障壁に遮られて騎士達の肌に届かない。なのに、寒さを感じてしまう――夜の空独特の感覚。
 それは、騎士達にとっていつ以来の感覚だっただろうか。
 闇の書の闇を討ち果たし、リインフォースを失い、そして管理局に身柄を預けるようになった彼女たちは、夜空を飛ばなくなった。
 飛ぶ必要が、なくなった。
 管理局の任務は人目を避ける必要がない。はやてを偽って睡眠を削る必要もない。
 堂々と、広い蒼天の下を思うままに舞う。それは騎士達にとって無二の喜びを感じられる瞬間でもあった。
 けれど。
 いま、ヴォルケンリッターは夜天を飛翔する。
 結界で区切られた、狭い空。
 向かう先は、要塞のごとき堅守を保持する、更に深い結界の向こう。
 シグナムの表情が、束の間だけ歪む。
 ヴィータは無言のまま、無意味にグラーフアイゼンを一振りする。
 シャマルは必要もないのに左右へとせわしなく視線をやっている。
 いつも寡黙な守護獣ザフィーラは、今や一言も発さずにただ闇の向こうだけを見据えている。
 誰もが、不安を覚えているのだ。
 はやてに会って、それで、どうなるのか。
 言葉で止まってくれるようなら、最初からこのようなことにはならなかっただろう。ならば、クロノに語ったように力尽くで止めるしかないのだろうか。

 ――どうやって?

 飛び立つ直前、クロノから冷ややかにぶつけられた質問に、シグナムは答えることが出来なかった。
 ただ、全力を尽くす、とだけ。
 シグナムが口に出来たのは、それだけだ。
 嘘はつけなかった。
 ただでさえ倒れた二人と一匹を人質にするような形で、シグナムはクロノから譲歩を引き出した。
 騎士にあるまじき言動だったと言える。
 けれど、クロノは一言もそれを責めなかった。ただ、悲しそうな瞳でシグナムを見つめただけだ。
 その上に虚言を重ねれば、シグナムは自らを騎士とは誇れなくなっていただろう。
 けれど、実際にはやてにあって、それからどうなるのだろうか。
 どんな結果がその先に待ち受けているのか。
 そこに行き着いたところで、どのような道を選ぶことになるのか。
 いくら考えても結論に行き着くことが出来ず、シグナムは思わず頭を振ってしまう。堂々巡りの思考を振り払おうかとするように。

「シグナム! あれだ!」

 それに気がついたのは、ヴィータが一番最初だった。
 シグナムは顔を上げ、シャマルも空中で制動をかける。
 黒い壁が、そそり立っていた。
 夜の闇の中にあってなお黒い、壁が。

「これが――」

 言わずもがなだったが、シグナムはそれでも呟いていた。
 それは他の騎士達も同様。

「なんだ、これ――」

 ヴィータが眉間に深いしわを刻む。

「結界の境目が、ここまではっきり見えてるなんて――」

 シャマルの声には、驚愕さえ含まれていた。
 騎士達の記憶の中にも、このようなものは刻まれていない。
 地の底から続いているのではないかと見えるその『壁』は、まるで巨大な柱のようにそそり立ち、夜天に消えている。結界と言うには、あまりにもはっきりしすぎている壁。

「なんか、気にいらねー」

 すべてを拒絶するような圧力さえ覚える異様な存在感に、ヴィータが顔をしかめながらぽつりと漏らす。
 騎士達の背後から吹き付けた筈の風が、その圧力に負けてか闇の柱を避け渦巻く。

「まともな方法で、破れそうにはないな」

 ポニーテールにまとめられたシグナムの長髪が、ゆらゆらと揺れる。
 風が吹いているわけではない。障壁の放つ圧力が物理的な影響力すら彼女に与えてしまっている、それだけのことだ。

「そうだな……」

 シグナムに並んだヴィータは、その手に小さな鋼球を握っていた。

「アイゼン、試しに一発行くぞ」
《Jawol.》

 宙に放たれた鋼球は、一瞬の遅滞なく鉄槌の槌頭に撃ち抜かれた。
 夜の闇に、ヴィータの魔力光である紅い軌道が一つ、描かれる。
 だが、音速にも届こうかという勢いで描かれるはずだった直線は、瞬く間にその速度を減じていた。描かれる軌道も、いまやのたくった蛇のようにぐねぐねと曲がりくねっている。

「ち……やっぱか――」

 ヴィータの額に汗が浮かんだ、その刹那。
 紅い光が、何の前触れもなく唐突に消える。まるで蒸発でもしたかのように。

「――!?」

 騎士達が示した反応は、それでも追いつかない。
 ボッ――。
 音ではなく、それは純粋な衝撃。
 音速を圧倒する速度ではじき飛ばされた空気が、ソニックブームとなって騎士達の身体を吹き飛ばしていた。

「――くっそーっ!」

 くるくると回る体を踏ん張って制動をかけたヴィータが、奥歯を鳴らしてわめく。

「無事か?」
「たいしたダメージじゃねえ――けど、ただの衝撃波じゃなかったみてーだな」

 痛みによるものか、束の間ヴィータは顔をゆがめた。
 おそらくはシグナム達も多少のダメージを受けているだろう。
 ヴィータの魔弾を蒸発させた衝撃波によるものだ。むろん騎士達の身体は魔力障壁で常に守られている。ただの物理的衝撃では、身体にダメージを受ける筈など無い。ならば、彼女たちを襲ったのは魔力を伴った攻撃だったと言うことになる。

「ずいぶんと頑固な結界ね……やっぱり、私たちじゃ破れないみたい」
「頼りは、ユーノか」

 ザフィーラが名前を出すのを待っていたかのように。

『何をやってるんだ、君たちは』

 呆れたようなユーノの声が、騎士達の脳裏に響く。
 彼は今も宿にとどまり、なのは達の生命維持にほぼ全力を費やしているはずだ。

『うるせー、ちょっと試しただけだ』
『時間的な余裕がない。あまり無駄な時間は使わないでくれ』
『時間がない――?』

 シグナムの疑念も当然だった。

『日付が変わるまでは、まだ時間があるはずだ』
『それまでにはやてが持っているかどうかが、わからないんだ』

 ユーノの念話には、焦りにも似た感情がはっきり浮かんでいた。

『こっちの探知魔法に掛かる魔力が、変質しつつある。暴走まで、もう時間はないよ』

 騎士達の表情に、緊張が走る。

『最初に打ち合わせしたように、やってくれ。結界を抜けるための術式も、アップロードは終了してる』
『わかってるよ』

 返答したヴィータは、懐からいつもの鋼球とは違う球体を取り出す。
 紅に輝く、宝玉。
 首飾りの形をしたそれが、自ら光を放つ。

「大丈夫か? 本当に」
《Not mind.I'm already Stand By.》

 こともなげに。
 ヴィータの指に挟まれたインテリジェントデバイスは、返答する。
 無条件で信用できる言葉ではなかった。もし大丈夫ではなくとも、この頑固なデバイスは最後の時まで大丈夫だと答え続けるだろう。主である高町なのはがそうであるように。

「あたしはしらねーぞ、レイジングハート」
《Don't worry.》

 ふう、とため息をついて、ヴィータはそっと目を閉じた。
 魔力が、ヴィータの身体からレイジングハートへと流れ込んでいく。
 レイジングハートがユーノより受領した術式を組み込んだ魔法陣が空中に展開されていく。ヴィータの魔力を借りて展開されたミッドチルダ式の魔法陣は、燃えるような紅い色で構成されていた。

「――んじゃ、行くぞ」

 ヴィータは放り投げるようにして、無造作にレイジングハートを空中へと放つ。

「アイゼン――遠慮はするなよ」
《Jawol!》

 そしてヴィータは鉄槌を振りかぶる。

「いっけええええええええええええええええええええっ!」

 絶叫と共に、紅い閃光が月守台を埋め尽くした。

 

   §

 

「きて、しもたか――」

 月守神社の境内。
 基礎だけ残して吹き飛んだ本堂の跡地に、騎士達の主はひとり立っていた。

「てっきり、クロノ君が来ると思ってたんやけどな」
「クロノ執務官からは、少しだけ時間をもらいました」

 灼けて真っ黒になった砂利を踏みしめ、シグナムは変わり果てた主を見つめる。
 白かった騎士甲冑は半ばまでが黒く変色し、瞳の赤はまがまがしい光を放つ。はやての姿を保っているのが奇跡とも思える様相だ。

「わたしを説得する、時間か?」

 けれど、まだ意識は間違いなくはやてのもの。

「何故です?」

 返答せず、シンプルな問いだけを発するシグナムに、はやてはふっと笑う。
 彼女の口元に浮かんだそれは、自嘲。

「さっきも、言ったはずや……わたしは、最初からこうするべきやったって」
「リインフォースを、無理矢理この世界に止めるべきだった――と?」
「そうや。リイン一人だけを犠牲にしていいはずなんて、無かった」
「けれど」

 言いつのろうとするシグナムの言葉を、はやては首を振って止める。

「あの時はそうするしかなかった――そんなん、言い訳や。わたしはあのとき、何も選べんかった……ただ見てることしか、できんかった」
「けれど、このままでは――」
「わかっとる」

 はやては顔を上げる。

「もうじき、防衛プログラムが暴走を始めるやろうな――けど、わたしはそれを抑え込んでみせる。そうして、リインと一緒にもう一回やり直すんや」
「大切な友人を、犠牲にしてもですか?」

 シグナムの指摘に、はやての肩が小さく震えた。

「あいつら、まだ目もさまさねーんだよ、はやて……」

 ヴィータの言葉に、再びはやての顔が伏せられる。

「はやてちゃん……これ以上、無理をしてもリインフォースは……」
「そっちも、何とかする……それまで、待ってくれへんやろうか……わたしは、リインを諦めるわけにはいかないんや」
 俯きながらも、なお頑なに。
 はやては一歩も譲らない。

「なら――」

 シグナムは、決断の時を迎えた事を知った。
 猶予はもうない。

「我々は、あなたの過ちを止めます」
「わたしが、間違っとるか?」
「いま、そう確信しました」

 シグナムは、レヴァンティンの柄に手をかける。

「リインフォースが、泣いていますから」
「わかんないのかよ、はやて……」

 ヴィータもグラーフアイゼンを握る拳に、力を込める。
 ヴォルケンリッター達には、確かに聞こえていた。それは物理的な音という現象ではないし、思念通話によるものでもない。けれど、それでもはっきりと感じられる嗚咽。
 はやての行為を悲しむリインフォースのものに違いなかった。
 これ以上、悲しませるわけにはいかない。

「そうか」

 はやての表情が、ふっと緩む。

「けど、わたしは頑固なんよ」

 泣きそうな笑顔で。
 はやてはその手を天に掲げる。

「だから、戻るわけには――」

 黒い光が、彼女の掌の上に収束する。それは、紛れもない拒絶の意志。

「いかないんや!」

 それは、戦いの始まりを告げる光。

「撃ち抜け! 魔王剣シュバルツバルト!」

 騎士達が立っていた地面が、抉られるように吹き飛ぶ。いや、地面の奥底から隆起した何かがそう錯覚させただけだ。
 地の底から乱立してくる黒き刃の群。
 飛翔してそれを躱した騎士達は、けれど逃げた空中でもただひたすらに回避を強いられる。
 一ヶ月前の光景そのままに焦土となっていたはずの月守神社だった空間は、瞬く間に黒へと塗りつぶされていた。
 そのいずれもが、掠めただけで致命的な一撃となりかねない。

「何とかなんねーのかよ、ザフィーラ、シャマルっ!」

 ヴィータがグラーフアイゼンを振り回しながらわめく。基本的に直線的な攻撃主体のヴィータにとって、このような範囲攻撃の対処は苦手な部類に入るのだろう。直撃しそうな刃を叩き折り続けてはいるが、このままではジリ貧になる。それは誰の目にも明らかだった。

「っていっても、こんなの躱すだけでせいいっぱいよ――って、きゃあっ!」

 至近を通り過ぎた刃が残していった衝撃波に、シャマルの体勢が一瞬崩れる。

「シャマル!?」

 誰かが叫んだ。

「いかん――!?」

 黒い刃がひとつ、回避する余裕を失ったシャマルを貫く軌道に乗っていた。
 シグナムは慌てて宙を蹴ったが、刃の方が早い。どうあがいても、間に合うまい。

「え――?」

 己へと迫った死に、シャマルの表情が凍り付く。
 まっすぐ、彼女の胴体をめがけて伸びてくる黒い刃。
 体勢が崩れた今、彼女にはそれを躱すすべがない。まともに受ければ胴体が丸ごと失われ、上半身と下半身が泣き別れになるだろう。いかにヴォルケンリッターといえども、即死は免れない。

「う――そ」

 あとほんの半秒も時間があれば、彼女は何とか体勢を立て直していたはずだ。けれど、もう間に合わない。ザフィーラはシグナムよりも遠く、ヴィータは行く手を別の刃に遮られ、そしてシグナムは絶望的に届かない。

「シャマル――っ!」

 ざん。
 致命の一撃が、シャマルの腹を薙いだ。

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2008年6月29日 (日)

始まりのエピローグ・21

 ゆっくりと、はやては目を開ける。
 回復した彼女の視界の中、クロノのS4Uを、銀の刃が押さえ込んでいた。

「しぐ、なむ――?」

 はやてに対する致命の一撃を防いだのは、紛れもなくシグナムのレヴァンティンだ。
 騎士甲冑をまとったシグナムが、はやての目の前を飛んでいた。

「そんな……動けない、筈やなかったんか」
「動けます――主はやて、あなたの、ためなら」

 その声には、まだ苦痛の色がある。本当なら立つことさえきつい状況に違いない。無理を押し通しているのは、ひとえに意志の力だ。
 シグナムの身体を包んでいた騎士甲冑が、一瞬色あせる。存在感さえ失せてしまいそうになり、だが再び形を取り戻す。その横顔に苦痛の色が浮かんだのは、はやての気のせいなどではあり得なかった。

「――っ!」

 はやての顔が、歪む。
 握られた拳に力が籠もり、その躰を拘束していた魔力の鎖が瞬時にちぎれ飛ぶ。

「主――っ!?」

 だが、その次にはやてが見せた行動は、シグナムの予想を裏切るものだった。
 背中を向け、赤く染まり始めた空の向こうへ、飛翔を開始する。

「逃げる――!?」

 追おうとするクロノに、シグナムは慌てて飛びつく。
 今のシグナムに、全力で逃げるはやてを追う余力はない。

「待って、くださいっ!」
「――っ!」

 その一瞬で、はやては大きくクロノを引き離す。もはや、追いつけまい。
 ため息をついたクロノは、握っていたデバイスから手を離した。

《スタンバイ》

 待機形態であるカードに戻ったS4Uを懐に戻し、クロノは自分の腕を絡め取ったままのシグナムに振り返る。

「君は、自分が何をしているのか、わかっているのか?」
「クロノ執務官こそ、わかっているんですか?」
「わかってる、さ」

 厳しい表情のまま答え、クロノは降下を始める。
 なのはとフェイト、そしてアルフが横たえられたその場所へと。

「どれくらい、持つ」

 ユーノの傍らに降りたったクロノは、簡潔に問う。

「わからない。今すぐ、って事はないと思うけど」
「リンカーコア浸食は、抑えたはずです」

 シャマルが代わって答える。今、なのはとフェイトはユーノとシャマル、二人の施術を同時に受けている状況だ。

「意識さえ、戻れば――」
「戻らないだろう。彼女を、何とかしない限り」

 クロノは首を横に振った。

「なのはちゃん……フェイトちゃん……」

 すずかが、泣きそうな声で二人の名前を呼んでいる。

「早く、起きなさいよ、二人とも」

 アリサも、気丈に何度も呼びかける。
 けれど二人は目覚めない。わずかな身じろぎさえしない。
 ほんのわずか、血色の戻った顔色だけが、わずかな救いか。

「たぶん、このままなら明日の朝までが限界かな……」
「明日の、朝までか……それまでに、彼女を何とかしないといけない」

 その『何とか』が穏やかな意味でないことなど、今更確認するまでもない。
 クロノは躊躇さえしないだろう。先ほど、何のためらいもなくはやてに致命の一撃をたたき込もうとしたように。フェイトの命を救うためなら何でもすると、そう選択したのだから。
 ならば。
 ヴォルケンリッターである――はやての騎士であるシグナム達は何をどう選択すべきなのか。
 シグナムは笑う膝に力を込め、もう一度立ち上がる。

「クロノ執務官――お願いが、あります」

 一瞥だけを向けたクロノは、何も答えない。

「時間を、ください」
「時間?」
「主はやてを止める時間を、です」

 クロノはもう一度、シグナムに向き直る。

「時間は限られている。君たちに譲る理由はないんだが」
「もし認められないなら、シャマルの治療を解除させます」
「ちょ――シグナム!?」

 思わず抗議の声を上げたシャマルに、シグナムは黙っていろと身振りだけで告げる。

「ユーノ……どうだ?」
「もしシャマルさんの支援が受けられなくなったら、二人はそれほど持たないだろうね」
「……なるほど」

 クロノは強い視線で、シグナムを睨め上げる。

「いいだろう。日付が変わるまでの間は、君たちに預ける――けど、もしそれまでに彼女を止められないなら――」
「止めます。例え、差し違えることになっても」
「し、シグナム――!?」

 ヴィータがうろたえた声を上げる。

「今までの我らは、主の過ちを正すことなく、ただプログラムされた通りに存在してきた」

 シグナムはヴィータを振り返らず、己の拳を見下ろす。

「だが、今の我らは主はやての元、人のように生きようとしている。ならば、主の過ちを正すのも、騎士の務め――そうは思わんか、ヴィータ」
「け、けど――」
「高町なのはがこのまま目覚めぬまま果てても、お前はいいというのか」
「そ、それは、良くないけどさ」

 シグナムに向き直られ、今度はヴィータが目をそらす。
 その視線の先には、未だ意識を取り戻さないなのはの顔があった。
 ことあるごとにヴィータを可愛がろうとする、ヴィータにとっては些か鬱陶しい相手。けれど、それ以上にヴィータにとっては――

「良くない――わかってるよ。それくらい」

 ギリギリと歯ぎしりの音を鳴らしながら、ヴィータは唸る。真っ赤になるほどに肩区切りしめた拳をぶるぶると震わせ、今にも爆発してしまいそうな激情を、必死に抑え込む。

「なんで――なんでだよ、はやて……」

 今にも泣き出してしまいそうな顔で。
 ヴィータは、ようやっとその言葉だけを絞り出した。

 

「とりあえず、二人とも少し顔色良くなったかな……」
「アルフの方は、こいぬモードになったみたい。だいぶ楽そうになってたし、たぶん、しばらくは大丈夫なんじゃないかな」

 並べられた二組の布団の横で、アリサとすずかはようやく小さなため息をついた。
 同じ年頃とはいえ、人形のように力の抜けてしまった少女二人に服を着せ、布団の中に押し込む作業は決して楽ではなかった。それだけの作業を、アリサとすずかの二人だけでこなしたのだから、儚げな印象とは裏腹に驚くほどの体力を持ち合わせているすずかでさえ、疲労の色を隠せてはいない。
 宿の人間は頼れない。そもそも、彼女たち以外の人間はこの宿にいない。正確に言えば、彼女たちこそが宿から居なくなったのだが。
 ここははやてが展開した半径数キロに至る次元結界の中で、この中にいるのは今のところ女湯に居合わせた十余名だけだ。
 ノックの音に、アリサはどうぞと答える。
 ドアを開けて入ってきたのは、シグナムとシャマル、そしてヴィータの三人だった。

「すまないな、お前達にすべて押しつけるような形になってしまって」

 二人が布団に横たえられていることを確認し、シグナムは寂しげに微笑む。

「あたし達がやるって言ったことだし。だいたい、あんた達さっきまで立つのが精一杯だったんでしょ。無理なんかしても、何もいいことなんて無いじゃない」
「それは、そうだが」
「なんか役立たずって言われてるみたいで、気分わりーぞ」

 ヴィータの抗議に、アリサはやれやれと頭を振る。

「本当に役立たずだったじゃない。真っ青な顔してさ」
「アリサちゃん、それはちょっと、言い過ぎじゃ」
「この体力バカ達は、自分たちが無理してるって気がついててもそれでも無理するんだもの。はっきり言ってやらなきゃ」

 ふん、と鼻息荒く言い放ち、それから笑ってみせる。
 彼女のそれも強がりなのだといくことは、誰の目にも明らかだ。けれど、誰もそれを指摘はしない。誰もが、今は虚勢を張るくらいのことしかできないのだから。

「あの、本当に気にしないでください。魔法使いじゃないわたし達に出来るのは、これくらいですから」
「承知はしたつもりなのだがな」

 二人がなのはとフェイトの面倒を見ている間に、シグナム達はシャマルの施術を受けることが出来た。全力が回復したわけではない。はやてを通じてリインフォースに奪取されてしまったリンカーコアは、無視できる量とはとても言えなかった。
 良くて、数十分。
 それが、シャマルの計算した、ヴォルケンリッター達の全力行動時間。
 もっとも、それは本来使用できない領域の力を、シャマルの施術で強引に使えるようにしただけの代物だ。ガス欠になりかかっている車に、予備タンクのわずかな燃料をすべて投入したようなものでしかない。
 配分など無視して使い切れば、数分で最低限の力さえ失ってしまう。
 本物の人間ではない彼女たちがその領域に至れば、残された道は消滅しかあり得なかった。

「けど、なんで」

 何事か考え込んでいたヴィータが、顔を上げる。

「あたし達は、なのは達みたいに一発でぶっ倒れなかったんだ?」
「たぶん――」

 シャマルはなのはの額に手を添えて様子を観察しながら、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。

「リインフォースが消えたあの日に、私たちをシステムから外したこと――それが、影響してるんだと思うんだけど」
「だが、闇の書と本来つながりのない高町なのはとテスタロッサは、あの様だった。いったい、何がどうなっている」
「それは――」

 わからないことだらけだった。
 そもそも、何故リインフォースが一気に暴走へと至ったのか。いや、そもそもあれはシグナム達の知る闇の書の暴走とはまるで異なる現象だった。

「例のロストロギアによるもの、か?」
「その可能性を考えるしかないね、残念ながら」

 肯定の言葉を口にしたのは、いつの間にか入室していたユーノだった。

「はやての居場所、一応わかったよ」
「本当か!?」
「嘘を言っても、意味がない。このあたりで一番高い山の頂上に、極端に強い反応があったからね。魔力パターンも合致してる。間違いないよ」
「一番高い山、だと?」

 つまり、ユーノの言うその場所は。

「そう。月守神社――一ヶ月前暴走して消失したはずのロストロギアが展開した、結界の中だよ」

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2008年6月20日 (金)

始まりのエピローグ・20

 だが。

 

 その光が爆発する中から、黒い魔力光と共にはやての白い騎士甲冑が飛び出してくる。その姿には、わずかなダメージの痕跡すら見あたらない。

「そんな――あれじゃ、まるで」

 ユーノには見覚えがあった。
 かつて、なのはがいくら強力な攻撃魔法を放とうとも全く通用しない強力な防御壁をもつ敵がいた。それは暴走しつつあった、かつての闇の書――リインフォース。いや、正確に言うならば。

「……闇の書の、防衛プログラム……?」

 多層の強固きわまりない防御能力。そして無限の再生能力。かつての闇の書が保有していた不死性そのものであり、闇の書が闇の書たるゆえんでもある、存在。
 クロノの砲撃が更にはやてを追うが、そのすべてがはやてに届くことなく、受け流され、はじき返され、消滅させられていく。
 ユーノの推測が正しいならば、単一の魔導師が放つ攻撃魔法だけで抜ける防御力ではないはずだ。なにしろ、あのなのはでさえ正面からまともに撃ち抜けなかった相手だ。

「予想して、然るべきだった……か」

 リインフォースが消滅を望んだ理由。
 それは、彼女が存在する限り、防衛プログラムもいつか再生するから。もはや夜天の魔導書という原型に戻ることも出来ない彼女にとって、それは永劫の枷。
 そして管制人格であるリインフォースが復活という奇跡に遭遇すれば、彼女と不可分の存在である闇の書本体も、そして狂った防衛プログラムもいずれ復活する。それは、当然予想される事態だった。

「けど、どうやって」

 闇の書、そして防衛プログラムの起動には、大量のリンカーコア蒐集が不可欠だ。かつては、ヴォルケンリッター達がそのリンカーコアを蒐集した。けれど、今回そのリンカーコアを蒐集する役を担う者はおらず、リンカーコアを抜き取られた被害者もいない。
 いま、ここで横たわっている二人の魔導師以外は、だが。

「やっぱり、先のロストロギア暴走の影響なのか……」

 暴走したロストロギアの詳細は、ユーノもクロノも把握していない。いや、管理局内に正しい情報を把握している人間が何人いるか――
 ユーノが思考を巡らす間にも、クロノとはやては熾烈な砲撃戦を展開していた。
 単純な魔力の押し合いなら、Sランクに分類されるはやてとまともにやり合える力などクロノにはないはずだ。だが、ユーノが見る限り撃ち合いはクロノ優位に推移していた。

《ブレイズキャノン》

 クロノの主砲とも言える、高威力の砲撃魔法。容易に躱せる一撃でないとはいえ、それを着実にはやてに直撃させ続けている。対するはやてもブラッディダガーなどの攻撃魔法で反撃し続けているが、はやてが撃ち返したときにはもう、クロノの姿は砲撃位置から消えている。

「さすがだな……」

 絶望的な攻撃を、ミスなく苛烈に繰り返す。
 はやてにパターンを読ませず、はやてのペースに持ち込ませず、クロノは一切の躊躇なくはやてを撃ち続けている。それは、きっとはやてが致命的なミスを犯すか、もしくは彼自身の体力が尽きるまで続けられるに違いない。

「けど、このままじゃ、本当にはやてを――」
「ある……じ……」

 ユーノは思わず振り返った。
 昏倒していたはずのシグナムが、上体を起こしていた。
 その両手両足はいまだ闇の茨に絡みつかれたままだが、それでも彼女は確かに意識を持ち直している。その背後では、ヴィータとザフィーラも立ち上がりつつある。
 更に、その背後。

「みんな、しっかりして!」

 緑の騎士甲冑をまとったシャマルが、立っていた。
 彼女の足元にベルカ式の魔法陣が浮かび上がり、一気に拡散する。
 緑の疾風となった魔力は、闇を吹き払っていく。シグナム達の手足に絡みついた闇も、なのはとフェイトの二人をがんじがらめにしていた闇も。
 すべてが消し飛んだわけではないが、それは明らかに効果があった。

「シャマルさん!?」
「ごめんなさい、ちょっと回復に手間取っちゃって――」

 そして、シャマルはシグナムに肩を貸しながら視線を上に向ける。

「やっぱり、こんなことに……」

 何が起こったのかは、おおむね察していたに違いない。

「なぜ、だ?」

 力の入らない膝にギリギリと奥歯を鳴らしながら、シグナムは呻く。
 彼女が見上げた上空から、クロノが落ちてくる。

『撃ちぬけ、フォトンバレット』

 黒い光弾が、立て続けに連射されてクロノを追う。本来なら単射の射撃魔法が、ほとんど散弾のような数と密度を有している。その一撃一撃が、クロノの防御を打ち抜くに十分な威力をも有しているのだろう。
 だが、それでもクロノは躱し続ける。
 自由落下のようだった軌道を強引に捻り、見失いかねないほどの機動で回り込み体勢を立て直す。
 クロノを追ったはやての視線が、シグナムと絡んだ。いや、クロノが偶然二人の中間となる位置に回り込んでしまっただけだ。
 いや、偶然であるはずがない。
 シグナム達を背後に置くことではやてによる攻撃を牽制する――いわば、盾にした。
 それはごく当然の戦術。
 はやての砲撃が、一瞬止まる。

「何故です――」

 シグナムは、声を絞り出す。

「何故ですか、主はやて!」

 絶叫だった。
 はやての表情が、一瞬だけ歪む。
 ――それは、おそらく二度と無い唯一の隙。
 アースラの切り札とまで言われた少年が、その一瞬を見逃すはずはなかった。
 自らを漆黒の矢と化して、はやてへと肉薄する。それまでに撃ち込んできた砲撃は、そのすべてが布石でしかない。
 S4Uを槍のように振るった突撃が、はやての目前に展開された防御壁を抉った。
 均衡は、刹那。
 壁となっていた光が、砕ける。
 消滅していく破片の中を、クロノの体躯が突き破った。

「あ――っ!?」

 全力の体当たりを、はやては躱すことも出来ずまともに受けてしまう。
 吹き飛んだはやての身体は、だがほとんど距離を飛ぶこともなく唐突に止まった。
 はやて自身の意志によるものではない。それは、彼女の全身に絡みついた魔力の鎖が証明している。
 クロノが得意とする設置型・遅延発動式の拘束魔法。
 はやてとの間断無い砲撃戦を繰り広げながら、強度の高い拘束魔法をしっかりと設置する。言うのは簡単だが、容易にこなせることではない。
 もがくはやての目前に、一切の表情を殺して、クロノがたたずんでいた。

「これで、終わりだ」

 はやての額にS4Uを突きつけ、冷ややかに宣言する。

《ブレイクインパルス・フルクラッシュ》
「殺す、気なのか――本当に!?」

 地上で見守っていたユーノは、愕然と呟いた。
 直接衝撃を撃ち込む、クロノの近接魔法。
 本来なら物理衝撃で構築物を破壊するための魔法で、近接戦闘で実用出来るものではない。実用して良いものでもない。強化版のブレイクインパルスを生体に撃ち込めば、対象は血とミンチの詰まった皮袋になるしかない。

「――っ!?」

 はやての目が、閉じられる。
 けれど。
 衝撃はいつまで経っても訪れなかった。

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2008年6月18日 (水)

始まりのエピローグ・19

「――っ!? 大丈夫か、クロノ!」

 ユーノは呻きながら立ち上がる。構築していた結界はかろうじて吹き飛ばされずに済んだが、女湯を一瞬覆い尽くした光は次元結界の構築と共にきわめて強い魔力衝撃を伴っていた。
 アリサとすずかに、異常はない。ユーノ自身がとっさに展開した防御魔法によって、ほとんどダメージもなかったはずだ。倒れたままの三人とヴォルケンリッター達も同様に。けれど、やや離れた場所にいたクロノだけはユーノのカバーも及ばなかった。

「……だい、じょうぶだ」

 小柄な執務官の身体が、立ち上がる。
 先ほどまで立っていた場所から数メートル以上離れた、小岩の上。彼の姿は、そこにあった。

「僕は、まだ」

 顔をぬぐう仕草をして、彼は再び正面を見据える。
 払うように振った彼の指先から、赤い液体が飛んだ。いや、額の上から、更におびただしい量の血液が、つうと彼の顔を伝い落ちてゆく。浅い傷でないことは、誰の目にも明らかだった。
 だが小さく歯ぎしりの音を立てたのみで、彼は再び愛杖を握る。もはや流れる血など構ったことではないというように。
 その視線は、湯船の上。空中に浮かぶ闇に据えられたまま動かない。

「……それが、君の選択か」

 小さく、呟く。
 つぶやきに答えるように、闇が収束する。
 彼女があるべき人の形へと。
 右手と両足には幾重にも巻き付けられた、赫い拘束帯。
 赫い文様が浮かぶ左の腕には、赫い装丁を施された巨大な魔導書。
 背中に広がるは六枚の黒き翅。
 そして、伏せられていた顔が、ゆっくりとクロノへと向けられる。赫い文様は彼女の頬にまで浮かび上がっていた。それは、かつてなのはと激戦を繰り広げた『闇の書の管制人格』に刻まれていたそれと同一のもの。
 だが。
 クロノは白い騎士甲冑をまとった彼女を見据えながら、もう一度怒ったようにその言葉を吐き出す。

「それが、君の選択か――八神はやて!」

 

 §

 

「わたしだけ、やった」

 呟かれる言葉は、虚ろ。

「リインを護れるのは、わたしだけ――」

 誰に聞かせるわけでもなく。
 ただ、確認するように繰り返すだけ。

「あのときは、ただ見ているだけやった。それしか、わたしに出来ることはなかったから」

 確かにクロノへと向けられているのに、何か違うものを見ているような彼女の瞳。

「けど、二度目は無理や……いや、わたしはあの時こうするべきやった」

 クロノにむけて、彼女の右腕が伸ばされる。
 だが、その手は差し伸べられたわけではなく、ただ、空中を掴む。――いや、そこにはいつの間にか十字を象った杖のシルエットが浮かび上がっていた。
 それは紛れもなく、十字杖のもの。
 だが、それははやてのためにリインフォースが用意したそれとも、管理局の技術部員達がはやてに合わせて制作したそれとも違う。その色は、闇を切り取ったかのような漆黒。光を全く反射しないそれは、まるで杖の形をしただけの『穴』であるかのようにも見えた。
 そして、杖を握った魔法使いは。

「強制ユニゾン――!?」

 ユーノが、呻く。
 そう。
 闇の書の管制人格として顕現したときのリインフォースの特徴をそのまま残してはいるが、そこにいるのは間違いなく八神はやて本人。ならば、身体各所に顕れたリインフォース側の特徴は、融合の結果によるものなのだろう。薄く変色した頭髪も、ユニゾン中であることを示している。
 だが。
 はやての瞳は、かつてただ一度の融合を果たしたときに見せたサファイヤのような蒼ではなく、リインフォースのそれと同じ朱に染められている。
 正常なユニゾンの結果ではあり得ない。なにより、リインフォースが最後に呟いていた言葉は、融合を望んでいたものではなかったはずだ。デバイスであるリインフォースの意志を無視し、主であるはやてから無理矢理リインフォースとの融合を実行したのは、誰の目にも明らかだった。

「何て、無茶を」

 かつて闇の書としてリインフォースがはやての肉体を乗っとったときのように、これは一種の融合事故でしかない。支配率が全く逆転している――違いはそれだけだ。

「無茶で、ええ」

 虚ろな口調のまま、はやてはユーノの言葉に頭を振ってみせる。

「この子だけを一人にさせてしまうことは、もう、わたしには認められん。それが、わたしの選択や」
「そのために、彼女たちを犠牲にしても、か」

 クロノの視線が、一瞬だけ横たえられた三人へと――フェイトへと、向けられる。未だに彼女たちの身体は黒い茨に絡み取られ、大切なものを奪われ続けている。

「何を犠牲にしても、や。どんな大切なものを犠牲にしても、わたしはリインを一人にはしない。そう、決めたんや」

 はやての言葉に、揺らぎはない。

「よくわかった。それが、君の選択というわけか」
「そうや、だから――」

 黒い短剣の形をした魔力弾が、彼女の周囲に浮かび上がる。

「邪魔は、させへん――貫け、“ブラッディダガー”」

 次の瞬間。
 短剣は撃ち出される。
 ほとんど目視など不可能な、高速と高機動。
 人の目に捕らえられるのは、ただそれが残像として残す軌跡のみ。
 空中に、紅の花が咲いた。

 

「クロノ!?」

 ユーノがなのはの肩に添えていた手に、力が籠もってしまう。まだむき出しのままの白い肌に、赤い痕跡が残ってしまうほど。
 けれど、なのはは身じろぎひとつしない。
 呼吸さえ止まっているのではないかと思えるほどに、何の反応も示さない。
 先刻まで温泉につかっていたはずの彼女の躰は、死体のように冷たい。

「なのは! なのは! しっかりしなさい!」
「フェイトちゃん! アルフ! 目を覚まして!」

 服を着直す余裕さえないまま必死に呼びかける二人の友人の声にも、反応は全く無かった。
 まだ、命に別状はない。

 まだ。

 極端に機能低下してはいるが、心臓はまだ確かな鼓動を刻んでいるし、よく注視すれば胸元もわずかに動いて、呼吸が止まっていないことを主張している。
 だが、この状態が長く続けば?
 いずれ、どちらも機能を停止するだろう。
 どちらかが止まった時点で、なのはという存在は終わる。

「もし――」

 なのはの肩から離した手を、ユーノは見つめる。
 クロノの姿は、爆煙の向こうに隠れ、まだ確認できない。もし、今のはやてがはなった魔法によって彼が倒れてしまったのであれば、この場に残る魔導師はユーノ一人だけだ。

「その時は……」

 残された時間などわずかだろう。
 けれど、なのはのために出来ることは一つしかない。

「僕に、出来るのか?」

 彼は自問する。
 クロノのように躊躇なく決断できるだろうかと。
 面を上げたユーノの視線の先、ゆっくりと流れていく爆煙の向こうに、光が浮かんでいた。
 二重円を基調とした、蒼いミッドチルダ式の魔法陣。

「そう、簡単にはいかへんか」

 はやては微塵も悔しさを感じさせない口調で、淡々と呟く。

「倒れる気など、無いからな」

 煙が流れ去った後に、黒いバリアジャケットをまとったクロノの姿だけが残る。無傷、とは行かない。バリアジャケットの各所には綻びが発生し、火花を散らしている。
 だが。

「悪いが、無傷で君を止められそうにはない」

 クロノの表情に、苦痛はない。
 ただ、苛烈な意志だけが、そこには宿っている。
 そして、その背後には無数の蒼く光る短剣が滞空していた。それは先ほどはやてが展開した闇の短剣よりもいくらか大きく、そして圧倒的に多数。

《スティンガーブレイド・エクスキューションシフト》

 S4Uが、ひときわ強く輝く。

「ってえ!」

 次の瞬間。
 振るわれたS4Uと共に、スティンガーブレイドの群は宙に浮かぶはやてにめがけて降り注ぐ。
 弾速はブラッディダガーに及ばず、誘導性能も皆無に近い。だが、点ではなく面を攻撃するその魔法を回避するのは至難の業。そして三桁の後半に届こうという数の魔弾、その一つ一つが並の魔導師が放つ射撃魔法に数倍する威力を秘めている。

「――っ!」

 身構えたはやての姿は、一瞬で蒼い光に包まれた。

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