「始まりのエピローグ」・13
「いや――」
しばしリインフォースの顔を見つめていたシグナムは、慌てたように話題を変えた。
「しかし、ここは、本当に良いところだな。主はやてがここに通えるようになって、良かった」
「まあね」
アリサが自分のことのように胸を張る。
「この学校は設備も整ってるし、職員もやる気のある優秀な人材ばっかりだって父さんが褒めてたし」
屋上にまで設置された花壇にはきちんと手が入れられ、今も秋桜や紫苑をはじめとした秋の花で一角が占められている。この屋上だけではなく、校庭や中庭にもかなりの規模の花壇が設置されていて、四季折々の花が植えられている。丹念に手を入れられた花々は、管理者の愛情さえ感じさせる。この一点だけをみても、恵まれた環境であることは察することが出来た。
「それも、もちろんだが」
シグナムは口元を緩める。
「良き友が居る。それこそ、主はやてにとっては最良の環境だと、私は思う」
「あう」
シグナムの言葉に、アリサは少し顔を赤らめた。
「わたし達にとっても、はやてちゃんはとてもいい友達ですから」
微笑んで二人の会話を傍観していたすずかも、話に入り込んでくる。
「今も思う。主はやてがすずかに出会わなければ、我らもきっとここでこんな平和な時間は過ごせなかったかもしれないと」
「不思議だよね。偶然の出会いだったのに」
「縁があったって事でしょ。まあ、腐れ縁みたいな気もするけどね」
そこで何かを思い出したのか、アリサは自分の頬に手を添えた。
「そもそも、あたしがなのはにほっぺ叩かれてからのつきあいなんだもんな。フェイトだって、なのはにコテンパンにやっつけられてから友達になったって聞いてるし」
「あ……あははは、まあ、そうだね」
いきなり自分の名前を出されたフェイトは一瞬だけびっくりしたような表情を浮かべ、それから苦笑いする。頷いたのは、確かにものすごく端折ってしまえばアリサの言葉も間違ってはいないからだろう。
「叩かれた?」
不思議そうな顔をしているシグナムに、アリサは自嘲とも苦笑とも付かない笑顔を浮かべた。
「ずっと昔にね」
視線をフェンスの向こう――中庭の方にやりながら、言葉を続ける。
「あたしってね、昔はひどい子だったのよ。そんなあたしを初めて叩いたのが、なのはだった。まあ、その後ひどいケンカになりかけたんだけどね」
「そうか……」
「でも、なのはがあたしを叩いてくれたから、今のあたしが居るんだって、そう思う。それは今でも感謝してるわ」
「叩かれたことを、か?」
意外そうな表情を、シグナムは浮かべていた。
「叩いてくれたからこそ、よ。あのときは友達でさえなかったのにね」
「そういう物か……わからんでも無いが」
「そーいうこと」
笑って、アリサは話を打ち切る。
会話にかまけている間に、かなりの量が用意されていたはずのおかずもかなり目減りしている。アリサもまだ食欲が十分にあるらしく、その箸を再び広げられた弁当へと向けた。
「そーいやさ、この学校、車いす用のエレベーターがあるんだな」
一足先に満腹になったらしいヴィータが、階段の方へと好奇心をいっぱいにした視線を向ける。
「そうや。わたしが入学するんで、わざわざ付けてくれたんよ。家のより高性能なんよ。ちょう見に行ってみるか?」
はやての提案に一も二もなくうなずき、ヴィータははやての車いすを押して駆けだしていく。
「んじゃちょっと行ってくるな!」
「おい、待て、ヴィータ……まったく」
まるで聞く耳を持たずはやてを連れ去ってしまったヴィータに、シグナムはため息をつくしかない。
「しかし、良いのだろうか。設備を整えてくれるのはありがたい話だが」
「はやてちゃんが最後ってわけでもないだろうし、これからはそういうものも必要になるだろうってことで設置したみたいですけど」
「そう言うことなら、納得は出来るな」
フェイトの説明にシグナムは微笑んだが、その笑みは不意に強ばっていた。
《何故――》
リインフォースの、思念通話によって。
《主はやては、まだ車椅子に乗っている?》
今更思い出した疑問というわけではないのだろう。
《私が消えたことで、主はやてのリンカーコアに食い込んでいた闇の書の影響も失せたはずだ。主はやての身体には本来障害がない。ならば、いくら衰えていたとしても立ち上がることくらいは出来て良いはず――なのに》
シグナムの表情が、曇る。
日曜に石田医師から告げられた一つの言葉。それはまだ誰にも相談さえしていないことだった。
《精神的な問題ではないか、と言われた》
《精神的……?》
それ以上打ち明けていいのかどうか、シグナムは悩む。あくまでもそれは石田医師の個人的な見解でしかない。けれど、それを言えば間違いなくリインフォースは悩むだろう。
《それは――》
「なにこそこそ相談してるんよ、二人は」
シグナムの思念通話は、そこで途切れる。
いつの間にか、はやてが戻ってきていたらしい。微妙に不機嫌に見えるのは、彼女に内緒で思念通話を躱していたからだろうか。
「あ――いや、ええと、その」
シグナムは言いよどむ。元々嘘を吐くことが極度に苦手な武人だ。会話の内容を素直に口には出来ないが、適当なことを言って誤魔化すなどという器用な真似もまた出来ない。
「――そういえば、私の代わりのデバイスを創っている、と聞きましたが」
きつくなったはやての目元に、慌ててリインフォースは今思いついた話題を振る。
「それでは私はお払い箱ですね」
「何言ってるんよ!?」
はやてが目を丸くする。
「リインのユニゾンデバイスとしての機能は無くなってへん。魔導書本体ってストレージは確かに無くなっとるけど、それでもリイン自身の機能はめっちゃ優秀や。わたしの魔法は管制が難しいからな。リインがおってくれたら、凄い助かるんよ」
「けど、じゃあ今制作中のデバイスはどうするんですか?」
シャマルが眉を寄せる。
はやて自身のリンカーコアを一部摘出してまで製作を開始した新しいユニゾンデバイスは、すでに人格が生成され始める直前の段階にまで移行している。
「うーん……」
はやても難しい顔になった。
一人の魔導師がふたつのデバイスを常時持つことはあまり多くない。ストレージデバイスならばともかく、インテリジェントなどの強力なデバイスとなれば、個人所有でも色々と面倒な手続きが必要になることも多い。まして、はやてが今製作しているのも、そしていまはやての目の前にいるリインフォースも、共にほとんど使用者のいない、しかも強力なユニゾンデバイスだ。二つを同時に所有する、などという申請はまず通るまい。
「凍結、するしかないやろか……とりあえず現状のままで」
「はやて……?」
その言葉を聞いて、ヴィータの表情が曇る。
「なんでだよ。あんなに楽しみにしてたじゃん……」
ユニゾンデバイスの誕生は、はやて一人が楽しみにしていたわけではない。
まだ人の形さえなしていない、はやてから分かたれたリンカーコア。
少しずつ、丁寧に、けれど確実に組み上げられていく、ヴィータにとっては妹にも等しい存在。彼女はその光景を見るために何度も本局へと足を運んでいた。はやてと一緒の時もある。只一人、マリーにだけ連絡を取って、こっそり見に行ったこともある。
胎児にも似た育成過程のそれは、それでも確かな命の存在をヴィータに伝えてきていた。
まだ顔も知らない、おそらくはリインフォースの名を継ぐことになるだろう彼女のことを、ヴィータは既に愛おしく思っている。
もちろん、いまヴィータの目前にいるリインフォースが愛おしくないわけではない。けれど、だからといってその小さな生命の灯火を凍り付かせられるだろうか。少なくともヴィータは、はやてのようにあっさりと割り切れなかった。
いや、ヴィータだけではない。
「本当に、それでいいんですか?」
シャマルも。
「主はやて……それは、いくら何でも」
シグナムも。
表情は暗い。
はやての言葉を、そのまま了解出来ない。
当然のことだ。みな、新たな家族の誕生を心待ちにしていたのだから。
「だって、仕方ないんよ。もしこのままあの子が生まれても、リインがおったらわたしらが管理できへん。そしたら、どのみち管理局にどっちかが凍結させられてしまう……それは、耐えられん」
はやての言葉に一理があるのは、確かだ。
けれど、それでも皆は納得しなかった。出来なかった。
「もうちょっと、考えたほうがいいよ、はやてちゃん……」
「だって、これからずっとリインはわたしの所におるんよ? 考えても、どうにもならないんや」
「それは、そうだけど」
なのはとフェイトもあまり賛成ではないらしい。その様子に、はやては少しだけむすっとする。
「わたしやって、軽い気持ちで凍結しよって言ってるわけじゃない。凄く悩んで、決めたことなんや」
「ごめん……」
珍しく怒った顔を見せたはやてに、一同はそれ以上何も言えなくなる。
確かに、彼女が悩まなかったはずはないのだから。
「主はやて……?」
くるりと車椅子を巡らせたはやてに、シグナムは声を掛ける。
「ちょお、外す」
その背中には、はっきりと拒絶の意志が浮かんでいた。
誰も何も言えないでいるその合間に、はやては階段と補助エレベーターのある屋上の出入り口へと車椅子を進ませてしまう。
「怒っちゃったね……」
「はやてちゃんらしくない、よね」
なのはとすずかが顔を見合わせた。
「はやて……」
「主……」
「どうしよう……」
ヴォルケンリッター達も、ただ戸惑う事しかできない。あんな姿を見せるはやてを、誰も知らなかったから。
「私が、行こう」
立ち上がったのは、リインフォースだった。
§
リインフォースがはやてを捜す必要はなかった。
ドアを抜けた、その先。
階段の脇にある狭いスペースに彼女の姿を見つけることが出来たからだ。
「主はやて」
掛けられた声に、細い肩がぴくっと震えた。
「なんで、来たんよ」
「来るなとは、言われませんでしたから」
「そうやったっけな……」
はやては振り向こうとしない。
「私は、今ここにいることを嬉しく思っています。主はやて」
「みんなそうや。みんな嬉しいって思ってる。そのはずなのになんでみんな余計なことばっかり言うんやろ」
「それは、きっと」
リインフォースは微笑んだ。
もしはやてがその顔を見ていれば、あるいは違った結果があったのかもしれない。
けれど、はやては振り向けなかった。
「みんな、知っているからです」
「何を、や」
はやての言葉に、リインフォースは答えなかった。その代わりに、もう一つの質問を口にする。
「怖いですか? 主はやて」
「何言ってるんよ? わたしは何も怖がってなんか無い」
振り返ったはやての表情に、動揺はない。
けれど、リインフォースは知っていた。この少女はひどく強がる傾向があるのだと。なのはやフェイトも似たような傾向があるが、はやてのそれは少し度を超えている。
「夢が覚めるのが、怖いですか?」
「夢……? 夢なんか、見てへんよ」
はやては首を横に振る。
「いいえ。これは、きっと夢なんです」
リインフォースは、はやての肩に手を添える。
震える、はやての肩に。
「消えたはずの私が、ここにいる。そんな事はありえない……主はやても、知っているはずです」
「何度も言ったよ……それでもリインはここにおる。わたしはそれだけでええ」
はやてはくるりと車椅子を旋回させた。
「リインは、嬉しくないん? 帰ってこられたことは、幸せじゃないん?」
「幸せでないわけなど、ありません」
ふっと、リインフォースは微笑んだ。偽りではない。偽る必要などどこにもない。
「永き時間を共にした同胞とともに、主はやての元で静かに暮らす……闇の書の中で半ば覚醒していたときから、ずっと願っていたことです」
「なら、それでええって思えへん?」
「だからこそ、思うんです。こんな幸せな事は、あるはずがない。これはきっと、優しくて、悲しくて、とても残酷な夢。私もあなたも、夢を見ているんです」
「夢やない。ここに、リインがおる……それは本当のことや」
つぶやき、はやてはそのまま俯く。
「もしこれが夢でも――リインがわたしの前におる。それだけで、ええ」
「主……」
しばし、リインフォースは何かを言いよどむ。けれど、小さくかぶりを振って、リインは柔らかい笑みを浮かべてみせる。
「そうですね。確かに、私はここにいる……どうかしてました」
そして、彼女ははやての車椅子の背後に立つ。
「みんなの所に戻りましょう、主はやて。シャマルのお弁当が、まだ残っています」
「そう、やね……って、しまった」
手首にはめた腕時計をちらりと見て、はやては愕然とする。
「あかん、残り時間が少ない。早く戻ろう、リイン」
「はい」
リインフォースは微笑んで、はやての車椅子を押し始める。
ドアを抜け、再び陽光の下へ。
(似合わないな、私には)
彼女ははやてに気取られないよう、心の中だけで小さく笑う。
(夜天の魔導書、そして闇の書。どちらにしても、日の当たる世界はわたしの居場所ではないか)
かつて、他の主の元にあったときには望みさえしなかった世界。
いや、そもそも望みのような物など何もなかった。
ただ自らの機能に従い、無為な繰り返しを無限に続ける、惰性のような日々。
もしかしたら始めの頃は抗ったのかもしれない。足掻いたのかもしれない。けれどいつしか飽いた。諦めた。かつての記憶さえ空白に明け渡した。
望みという言葉など、一番最初に忘却の彼方へと投げ捨ててきた。
(けれど。主にはここにいてほしい)
リインフォースは空を見上げる。雲一つ無い抜けるような蒼穹が広がる、海鳴市の空を。
今は、望みがある。
ただ一つの、望みが。
(そう……主はやてがあるべきなのは、明るい空の下。願わくば、この蒼天が主と共にありますように)
心の中だけで、そっとリインフォースは願っていた。
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コメント
本来ならもう立ち上がっている筈なのに未だに車椅子を使うはやて。石田医師が考察したように、精神的に引っかかっるものーーリインフォースーーがあるのでしょうね。
夢はいつか醒めてしまう…その時、はやてが立ち上がる時、側にいる融合騎ははたして?
投稿 大坂者 | 2008年5月16日 (金) 05時00分
この物語も、ようやく折り返しに届いたようです。
リインフォースの見る夢がたどり着くその場所を、是非見届けてもらいたいと思います。
元になるテキストはもう仕上がっているので、あとはもうちょっと更新ペース上げていきたいんですが、次の本の原稿と仕事が……(^^;
投稿 ちょー(管理人) | 2008年5月21日 (水) 02時20分